〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-[』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十一) ──
ひ よ ど り 越 え の 巻

2013/11/25 (月) 平 和 の 使 い (二)

お座船をめぐ って海上に残った将士はほぼ一千。陸に上って、持ち場についた諸手の軍勢は、すべておよそ一万四千騎。
五日の夕までに、布陣は、ほとんど、完了した。
ござんなれ、いつでも、という形だった。
西、一ノ谷から、東の生田川までの間、海の沿う磯道、おか田野でんや や、福原の面影をとどめる辻道まで、一時は人馬の流れで埃立ほこりだ ったが、陽も赤々と沈みかけ、山も海も暮色の中にひそまり返ると 「── あれほどな兵馬がどこに?」 と怪しまれるほど、天地はしいんと不気味なくらい青い夕星と土の香に返っていた。
「ここぞ」
と、越中前司えっちゅうのぜんじ 盛俊もりとし は、一つの岡の上に立って、
「なあ、若狭どの、ここを いて、ほかにはあるまいが」
と、何かを踏まえるように、武者草鞋わらじ で、地を打ちながら言った。
「うむ、和殿から、聞かされてはいたが」
と、若狭守経俊も、大きくうなずいて、
「聞きしにまさるよい陣場じんば よ。ここに立てば、西の遠くは明石、須磨の白波、山ノ手は鉢伏はちぶせ鉄拐てっかい鷹取たかとり 。そして、北の真正面に、鵯越ひよどりご えを望み、東の生田川までも、見渡せぬというくま もない」
と、自分の言葉通りに、 をたどらせて、ずうと、南の海を除いた三方を、ながめまわした。
そして、後ろに、ひざまづいていた近くの寺院の僧侶そうりょ の影を振り向いて、
「この岡、なんと申すぞ」
と、たず ねた。僧は、答えて。
「夢野ノおか とばかり覚えておりますが」
「夢野とは、この辺り、広い所の名であろう」
「古くは、宇奈五うなご ノ岡と申したそうで」
「うなごノ岡か」
盛俊が、寄って来て、
「案内、大儀であった。御坊は引きとられい」
「はい、はい」
「み寺の伽藍がらん は、陣所に借るやもしれぬ。人はおるまいな」
「みな立ち退いたげにござりまする」
「流れ矢も来よう。御坊もはやく遠くへ立ち去るがいい」
逃げるように消えて行く僧の影を背に ──
「若狭どの、三位さんみ どの (通盛みちもり ) には、どうあっても、ここよりは山ノ手の、山狭やませ ばんだるふもとまで陣を進め、鵯越えに、備えよといわるる。・・・・それも、道理でないことはない。しかし、鵯越えには、夢野へ降りて来る道と、尾根の途中より、西へ曲がって行く杣道そまみち とがある。── 余りに、山肌へ寄っては、見通しもきかず、万一の敵のへん に応じ難い」
「なぜか、いつになく、三位さんみ どのは、 を通されたの。── もう手勢をひきいて、明泉寺へと、押し進まれたのではないか」
「ちと、深入り・・・・。のみならず、もし敵が、鵯越えに現れたら、身を低地において、高地の敵を受けねばならぬ」
「なぜであろう。あのお急ぎは」
「分からぬが、この手の御大将、下知をおろそかにもなるまい。それがしの手勢は、お下知にまかせ、刈藻川の上流かみ へ出るが、和殿は、この岡に陣しておられよ」
「心得た」
「さすれば、鵯越えに向かい、陣は三段になる。── 和殿は後詰うしろまき ぞ。そして、この宇奈五うなごおか より十方を見、ただに鵯越えの一路ばかりでなく、いずこに敵が現れ、いずこに異変を見られても、ただちに、われらへ早馬を頼む」
越中前司は、くれぐれも、彼としめ しあわせ、まもなく、北方の山蔭へ向かって、馬を進めた。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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