〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-[』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十一) ──
ひ よ ど り 越 え の 巻

2013/11/24 (日)  しら たま (三)

大体、源氏方の以後の動きは、平家の方でも、あらゆる諜報ちょうほう を通して、手に取る如く、察知していたらしい。
「その人数も、範頼のりより義経よしつね の両勢をあわせて、わずか三千、味方の五分の一にも足らぬ小勢です」 と、宗盛がまず言えば、教盛も、
「しかも、瀬田、宇治川に傷ついて、まだ疲れの ゆるひまもない兵馬でもあり」
と、尼への気休めだけでなく、その点だけでも、勝目は充分と、思い込んでいる口吻こうふん だった。
「とはいえ、侮りがたい東国勢の精鋭、それに少数の兵は、必ず奇計をもって、攻勢をえらぶものうえ、味方においても、備えに油断はしておりませぬ」
と、宗盛は、母の尼にも、とっくり、のみ込める「ように、防備の手配を、ひょう にしてこう話した。
── まず、鵯越ひよどりご えから山路三里ほど先の、丹波方面には、権中納言資盛を大将に、有盛、師盛もろもり 、忠房などの副将を添えて、兵二千で、さく を守らせる。
次に。
福原の東、生田川の口は、敵も主軍をもって押し せて来るに違いない重要な大手なので、新中納言しんちゅうなごん 知盛とももり を大将とし、三位さんみ 重衡しげひら を副将に、そして知章ともあきら 、清房、清貞なども加え、総軍六千をくばって、味方としても、最も力をそそいでおく。
さらに。
鵯越えの道には、越前三位えちぜんのさんみ 通盛みちもり越中前司えっちゅうのぜんじ 盛俊もりとし 、若狭守経俊などの、屈強な者ばかり三千をもって守らせる。
── なおまた、地勢上、いちばん堅固であり、そして西方の奥深い山ふところでもある一ノ谷 には、薩摩守さつまのかみ 忠度ただのり を派し、それに忠光、景清、景経、敦盛らの面々を侍大将として控えさせ、いわゆる後詰うしろまき の備えを万全にしておく。
こう、つぶさに説いてから、
「さて、その一ノ谷ですが」
と、宗盛は、母の尼へすすめた。
去年こぜ の冬より、かかる日のため、兵糧ひょうりょう や馬糧の備蓄倉たくわえぐら もしつらえおき、粗末なれど、行宮あんぐう賢所かしこどころ をも、御造営申しおきましたゆえ、みかどを奉じて、母公にもそてへお移りくださいますように」
「その、一ノ谷とかは、遠いのか」
「いえいえ、ここからも見えまする」
と、宗盛は、簾越すご しに、西を指して、
「ちょうど、明石あかし の磯の切り岸から、須磨すま の裏山にあたりましょう。そこの静かな山あいで、後ろは、断崖絶壁だんがいぜっぺき 、磯道はせまく、木戸の防ぎをもって断ち、東の広い方は、さきに申したごとく、お味方の陣が、幾重にもかためておりますゆえ、なんの御心配もございませぬ。── 戦は、いつ果てるとも知れませぬし、わけて船中のお暮らし、長くは御不自由、かたがた、一ノ谷に、主上のおわしますと聞こゆれば、士卒の端々はしばし までも、いかほどふる い立つかしれません」
と、切にそこへの渡御とぎょ を仰いだ。
はっと、されたらしく、建礼門院のお顔の色は、紙のように変わった。
母の尼公が、どう答えるか。ときめきを隠して、伏した眼をそっと、二位ノ尼の横顔へうごかした。
「・・・・・」
尼も、さすがにすぐは答えない。── じっと考え込んでいる。
しかし、それにしても、女院の不安は去らなかった。
一門、都を落ちてからというもの、この老母までが、以前とはどこか変わって来ている。
むかしは、良人の清盛が、寝ても起きても、余りな大望ばかり描くのをきらって、
「女の身には、位階も権力も、欲しゅうはありませぬ。ただ一つ家に、子どもらの成人を楽しんで暮らしたいだけですのに」 と、口ぐせのようにかこ つお人であったのに。
それが、一門流浪のうちに、まったく、これが前の母かと疑われるほど、気丈になり、よく世間にある 「良人の遺志をつぐ」 というお気持になって来たものか、時によると、亡き清盛その人のように、総領の宗盛や公卿たちなどをも、きびきびと、おしかりになったり、励ましたりもするのであった。
果たして、
二位ノ尼は、やがてうなずきをみせ、
内大臣おおい殿との
と、改まって呼び、
「よいであろう。・・・・して、渡御とぎょ のお時刻は、また供奉ぐぶ の人びとは」
と、はやそんなことまで問い始めた。
宗盛は、それに答えて 「── 自分はもとよりのこと、門脇殿、経盛どの、主なる者、大勢お付き添い申し上げますゆえ、その辺もお気づかいなく」 と、言下にいった。
── いや、言いかけたところ、突然どこかでむせ び泣きが聞こえたのである。で、三人はびっくりして、辺りを見まわした。
五衣いつつぎぬ の袖の下へ、みかどをお抱えしてはな たじとする親鶏おやどり のように、建礼門院は、泣き伏していたのであった。
みかどはまた、おん母が、何でそんなことに泣くのか、お分かりになろうはずもないが、ただ悲しくなられたのであろう。いつもの御動作にも似やらず、ひしと、おん母の頬へ顔をつけて、なすがままに抱かれて、一緒になって、しゅくしゅく、泣きじゃくっておいでになった。
著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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