〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-[』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十一) ──
ひ よ ど り 越 え の 巻

2013/11/19 (火)   げん (一)

ひるかすみ だけで微風もない日の瀬戸内せとうち の海は、余りにも何か無聊ぶりょう で、退屈なうな づらだった。すると ── 二月四日、 もうすすきかけて来たころからの動きである。
家島いえしま 、男鹿島、西島、坊勢島なごの群島の間から、およそ百人くらいは楽に乗れそうな唐風からふう楼船ろうせん や、船上に武者やぐらを組んだ巨大な船艇など、大小さまざまな兵船三百余艘が、波しづかな播磨灘はりまなだ を、北の方へさして ── それとて、いかにも、おそるおそる、陸影のかなたを探りつつ行くかのように ── 進んでいた。
同時刻に。
むろ飾磨しかま の港からも、船上にぎっしりと弓、薙刀なぎなた を立て並べて行く船列が見え、淡路の西海岸からも、軸艫じくろ をそろえて、明石海峡あかしかいきょう の一点へさしてゆく無数の船の旗があった。
すでに前々から、時刻と、落ち合う所とが、布令ふれ されていたに違いない。
鯨群げいぐん もおろかな船影また船影のすべてが、明石海峡を通過し、やがて駒ヶ林の浜から輪田ノみさき (現・神戸市兵庫区) を巡って、そこの築堤のある沖に、いかり をおろしたのは、夜も更けかけていたこと、いうまでもない。
「おおくが にも、あまた、お味方の影が」
「今日ぞ、御遠忌と、お座船ざぶね の到るのを、早くより、輪田ノ松原にて、待ちわびていたものであろう」
「御法要の御支度みじたく よろしくば、鐘打ち鳴らせや」
船篝ふなかが りも、いちどに、明々あかあか と」
法要の奉行にも、一門の公達ばらが、協力して、勤めていた。
── 時刻近し、と、鐘で知らせる。
それを、しおに。
海上は不知火しらぬい のような灯の数にちりばめられた
一艘一艘に、船篝ふなかが りが かれ、またどんな小舟にいたるまでも、白木のだん を置き、香華が供えられ、それに、燈明がともされた。
陸を見れば、輪田ノ松原一帯にも、おなじような明るさがながめられる。
先陣として、すでに陸上にあった将士が、こよい主上のお座船と、故入道相国の御霊船みたまぶね を海上に迎え、忌日きにちはい をともにせんと、市ノ谷、生田、鵯越え方面から、しばし、ここの海辺へ集まって来たものと思われる。
輪田ノ岬には、亡き清盛がここに築港を築いたときの祈願寺 ── 来迎寺らいこうじ の山門と塔の一部だけが ── 今はうら悲しい残骸ざんがい をそこの松原にさらしている。おそらくは、門ばかりな形見の寺に駒をつなぎ、数千の将士は、松落葉をしとねにすわり流れ、海上へ向かって、もう、称名しょうみょう を唱えていたのではあるまいか。
法要の営まれる船は、幼帝のお座船ではない。
べつに、その夜の為に、あだかも、屋根にない御堂みどう のようにだん香華こうげ も設けられた清浄な大船の一つがそれに当てられた。
そして、幼い安徳天皇以下、おん母建礼門院、二位ノ尼、近親の女房や姫たちの姿が、もう見える。
清盛の三男 ── 一門の総領たるさき ノ内府宗盛が、その厚ぼったい体を、幅広く、天皇や尼のそばに置いていたのは当然で、故人の実弟で、そして年かさな経盛つねもり教盛のりもり などが次ぎにつづき、また尼の弟、平大納言時忠も、黙然と、手をひざび組み合わせていた。
そのほか、故人の孫、甥、外戚がいせき のたれかれなど、なおまだ、平家一門の名と人とだけは、そのままあった。
それらの近親者すべての者を、この一艘の内に見るにつけ、二位ノ尼の胸は、 「・・・・もし、小松殿 (嫡男重盛) が生きておわしたら」 という思いやら、明日の波間の心細さなど、新しい悲しみに、こみ上げてくるのを、どうしようもなかった。
やがて、身内の沙門しゃもん たちが打ち揃って、さかんな読経をあげ、香炉こうろ の煙が立ちのぼるにつれ、尼の胸は、なおさらせつ なさにくるまれた。
── 良人としての故人の気持をほんとに知っている者は、自分のほかにはないと、今も、信じて疑わない彼女でもあった。
良人の清盛は、かかる供養の忌日きにち のという仏事などは、あまりよろこ ぶお人ではない。都を源氏の手に渡したことこそ、どんなに 「不甲斐ない子どもら」 と、なげ いておられることかもしれまい。
いや、その都さえ、せまい都、うるさい公卿蛙の住む古池の都と、そう執着はしていなかった。
おそらく、故人が最も遺憾としているのは、福原の地を、こんな瓦礫がれき の焼け跡にしてしまったことであろう。
彼女は 「申しわけない」 と、生前の良人に叱られている時のようにじっとさしうつ向いていた。そして、 「それこそ、どんなにお腹を立て、口惜しく思し召しておられようぞ」 と思うにつけ、もうこら えきれず、何度もむせ びそうになった。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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