「──
弟」 と、やがてのこと、経正は少しあらたまった。 「お許
と、一つの船にいるのも、今宵だけになったぞ」 「では、明日はいよいよ、一ノ谷の磯か、輪田わだ
ノ岬みさき へ、上陸あが
りますので」 「いやいや、先陣の兵馬は、すでに上っておる。わららはまだ幾日か、海上におることになろう。しかし、おもととわしみ、明日はそれぞれ自分の拠よ
る軍に従って船も分かれ、以後の陣組みに就かねばならぬ」 「源氏との合戦は、はや、迫ったと伺いましたが」 「いかがせしか、その後、源氏の軍勢は、まだ、洛外大江山あたりに踏みとどまり、にわかに動く気色もないという」 「物見の報し
らせでございますか」 「それもあるが、院の公卿の間には、都に残りおるも、平家に心を寄せて、さまざまな便りをよこして、何かと、ひそかに告げてくださるお方も多い。たとえば、右大弁殿うだいべんどの
なども」 「・・・・・」 弟の顔が、ほのかに紅くなったのを見た。経正は知っていた。その右大弁親宗の姫と弟の恋仲を。── が、それには触れずに、さりげなく言いつづけた。 「それやこれや、敵地からの聞こえを、聞き集めたところでは、源氏方もまだ数日は西下すまいとの見方が強い」 「瀬田、宇治川で木曾と戦ったばかりゆえ、兵馬も多く傷つき、すぐには次の合戦に臨む支度の出来ないせいでございましょうな」 「それもあろう。・・・・が、もっぱら言われておることは、明みょう
四日は、平家にとって、亡な き平相国清盛公の御おん
忌日きにち 、五日は源氏にとって西塞にしふさが
がりの凶日、六日も悪日あくび
、それらの日をきろうてのこととか申す」 「悪日を避けるのは分かりますが、敵が、わが平相国の御忌日をはばかるというのは」 「さすが、東国武者も、もののふの思いやりよ。また、世上への聞こえもいかがかと、たじろいたことかもしれぬ」 「・・・・して、御仏事のおん営いとな
みは」 「明日の夜。船中を清めまいらせ、陸くが
からも海からも、一門すべてが、輪田の辺りへ集まって、故こ
太政殿だじょうどの が四年目の御ご
遠忌おんき を供養し奉るそうな」 「では、福原への御上陸もなく」 「──
沙汰は至極平穏なれど、さりとて、戦のこと、いつなん時、敵の襲うこともないとは限らぬ。かつは、福原も先年、焦土と化し、あまたな御寺みてら
や堂宇も悉皆しっかい 焼け亡び、そこへ、尼の君がお上陸あがり
になってみても、いたずらに、おん涙をそそるものしかない。 ── で、二位どののお望みとしては、福原で営みたいとの思し召しであったと聞くが、人びとがおなだめ申して、海上の御法要と相なったらしい」 「戦下、是非もないこととは申せ、二位殿のおん胸、どにょうでございましょうな」 「敦盛」 「はい・・・・」 「お許もと
も、故入道殿のおん甥の一人、兄とともに、明夜は、御法会ごほうえ
の座にまからねばならぬ」 「い、いえ・・・・」 と、敦盛は、怯お
じ縮むように、 「わたくしは、ご遠慮申します。よそにいてひとり御称名なと唱えておりまする」 「なぜ」 「でも。・・・・父君や、兄の経俊殿も、御列座に違いありません。勘当の子敦盛が、おゆるしもなく、そのような座へまかり出ましては」 「よいわ。この兄にまかせておけ。のう敦盛」 「よそながら、父君の影など拝して、先ごろのおわび、いたしたいと思いますものの」 「影でも見たいというお許もと
の心は、そのまま、父君のお心でもあろう。影と影とがよそながら会うことなら、なんの仔細しさい
はあるまい。ともあれ経正の後ろに添うて明日の夜は参れ。そして、たとえ遅ればせにも、一期いちご
の先陣にもれずにある乙子おとご
の敦盛が装よそお いと意気を、ほかの御一門へも見せてあげい。・・・・いや、見せてほしいのだ、敦盛」 と、宥いたわ
りつつも、経正はふと、面おもて
を横にした。 敦盛もまたあわてて瞼まぶた
へ指をあてながら、ひざの片手を下へ落とした。 |