播磨
の室むろ ノ津つ
には、平家の兵船が無数に入っていた。 数日前から、いつとはなく集まって、馬を下ろし、糧米を積み込み、兵も陸と水上に住み分かれ、何か、待機中のように見える。 室むろ
の遊女の繁昌はこの港と同じに古い。おそらく、武将のうちには、はやくも彼女らの繊手せんしゅ
に捕われて、風流陣を張っているのも多いのではあるまいか。 「はて、怪け
しからぬ所にお仮屋を置くものかな。長居はならぬ。若君、急がせられい」 ── 今も、聞こえよがしに言いながら、色街の辻を、逃げるように出て来た二人の主従がある。 供の武者は、稲川いながわの
熊太くまた であった。 ひとりは敦盛あつもり
である。ここの手勢の大将に、何かの諜しめ
し合わせでもあったのか、沖から小舟で来たのであったが、元の岸の小舟へ返るやいなや、 「ひとのこと、とかくを申すな。熊太、はやく櫓ろ
を遣や れ」 と、先へ跳び乗った。 「いや、つね日ごろなら知らぬこと、御一門の戦いくさ
を前に、昼から遊女どもを相手に酔うているとは」 「漕こ
げ漕げ。腹立ちは、櫓ろ にこめよ」 「しゃつ、なんとも、胸くその悪いことでおざった」 小舟は、高く低く、波に乗って、すぐ岸を離れた。 すると、浜に高楼こうろう
を並べている一つの家の欄干おばしま
から、大勢の遊女たちが、敦盛の姿を見つけ、小舟の影を指して、しきりに嬌声きょうせい
をあげはじめた。 白い手で招くのもあり、かなきり声で呼ぶのもある。また、色とりどりな女扇をひらめかせたりしながら、中のひとりが、その扇を、届かぬと知りながら、沖へ向かって投げ捨てると、ほかの遊女たちもみな争って扇を投げ合った、扇は一つ一つ彼女らの片想いを舞ってみせるかのように、翩翻へんぽん
と風に戯れ、波間に泛う いても、なお小舟の後を追っていた。 「オオ、美しい」 思わず、敦盛がそれへつぶやくと、 「なんの、ばかな」 と、唾つば
したいような顔つきで、熊太は言った。 「さきほどから、眼ひき袖ひき、若君を見ては淫みだ
らなささやきを交わしている浮うか
れ女め ども。── あんな売女のどこが美しいと仰せられるか。・・・・そのような者にお心をひかれては、都におわすおひとりの君にすみますまいが」 「さても、熊太が心外なののしりよ。何も、心を染めたわけでもないに」 「や、お怒りか。おゆるしあれ。つい、腹立ちまぎれの雑言でおざりまいた」 「敦盛、まことは、うれしいのだ。おことまでが、都にいるかの君を、おりには思い出してくれるかと」 「・・・・・・」 熊太は、何も言えない。悪かったと悔いられるだけだった。若君の胸には都のかの君が秘められている。触れればすぐこぼれる花の露のようにその恋人は花の芯しん
に深く住んでいるのだ。── それを心ない下臈げろう
の雑言であったと、自分が嫌悪けんお
されるのだった。 小舟は、南へ南へと漕こ
いで行く。 もうすぐそこに、幾つもの島々が近づいていた。家島いえしま
や男鹿島おがしま や坊勢島ぼうせしま
などであった。 この群島の真っ青な海の谷間を漕ぎ入って行くと、さらに何百艘とも知れぬ平家の軍船があちこちの島蔭に眺められた。ここには、筏式いかだしき
の戦闘舟ばかりでなく、大船も多く見えた。屋形や櫓やぐら
をそなえた美しい唐風からふう
の船も、ひそと帆を畳んでいる。 宮浦は、家島いえしま
の入海いりうみ で、船と船とのあいだに立ち騒ぐ波もない。──
そこの一つの船腹へ小舟が寄ると、敦盛だけが上へ移って、 「ご苦労だった、したが熊太よ。いらざるうわさは、御陣の内で撒ま
かぬがよいぞ」 「もう申しませぬ。さきの雑言は何とぞ」 「気にかけるな。敦盛は、うれしいぞと申したのに」 熊太は、櫓をしなわせて、艫とも
の蔭にかくれ、敦盛は屋形船をのぞいて、 「兄君、ただ今、もどりました」 と、内の経正へ告げ、そして何事かを、兄へ復命していた。 |