〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-[』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十一) ──
ひ よ ど り 越 え の 巻

2013/11/15 (金)  漿 め て (一)

しきりにさわ いでいたさく の番士は、やっと、経正の声に気づいたらしく、あわてて中ノ木戸へ走って行き、
「なんぞ、お召しで」
と、廊の上の経正を仰いだ。
「騒がしさよ。たれか、柵門へ参ったのか」
「はっ」
「もしや、敦盛ではないのか」
「されば、その・・・・乙子おとご の君 (末子) ではございましたが」
「や。それをば、なぜ猛々たけだけ しゅう、拒んでおるのだ。待ちかねていたものを。── 早くここへ連れて来い」
「・・・・が、じつは御出陣の前に、大殿より固く申し渡されておりますために」
「父君が?」
「一歩たりと、わが仮屋へ入れてはならぬ。もし、姿を見せたら、追い払えと」
「・・・・ああ、そうか。・・・・ご無理もないこと。生きて還るそらもない将士をひき いて一つ船出をなされたのだ。麾下きか の兵の手前にも、そう仰っしゃらねばならなかったことであろう」
経正は、指を瞼に当てて、せぐりあげる熱いものを、しばし、押しぬぐっていたが、ようやく面を直して、静かに言った。
「後々のことすべて、経正が身に引き受けて、決して、そちたちの落度にせぬゆえ、敦盛を、そっと、これへ通してくれい」
「ところが、はやいずこへともなく、悄々すごすご 、お立ち去りになりました」
「それとて、つい今のことであろう。追いかけて、連れ戻せ」
すぐ、番士たちの影が、わらわらと、柵門を駆け出して行くのが見えた。
けれど、そのわずかな間も、経正には長い気がした。いつか、彼自身もまた、柵の外まで出て、首を長くしていた。
しかし、やがて引っ返して来た番士たちは、
「たしかに、潟元かたもと へ降りられたはずですが、さらにお姿は見えませぬ。どう行かれたやら?」
と、口々に怪しむだけだった。
「では、峰であろう。いや、わしが探して来る」
経正は西の谷道を渡って、山の上へと急いだ。この島は、島そのものが山で、遠くから望むと屋根の形をしているといわれている。
松ばかりな山上の一端に、唐風からふう な大寺があった。とう の渡来僧が建てたとか、弘法大師もいたことがあるとかいう古刹こさつ であった。 「── 弟よ。敦盛よ・・・・」 と、松風の中を呼んでゆく声が、あなたこなたを、さ迷うて来た果て、やがてそこの山門へと近づいていた。
それより少し前のことである。
主従らしい二つの人影が、吸われるように、山門を入って行った。敦盛と熊太であった。
ここまで歩いて来る間に、敦盛は 「死のう」 と考えて、 「お びの道はそれしかない」 と思いつめた容子ようす である。
郎党の熊太は、敦盛の心を読んで、眼を離さない。そして、さまざま、生き抜くみち を説くのだった。ふたたび小舟で、摂津の戦場へ渡り、大殿の面前に伏して罪を待ち、そのうえ、お覚悟あっても、遅くはない、というのである。
「いやだ、父君には、どんなおしかりをうくるもよいが、一族のそし り、一門の冷やかな眼、思うだけでも、耐えられぬ。介錯かいしゃく を」
大きな松の根元に座り込んで、敦盛は、小刀を手にしかけた。
「や、何をなされますぞ」
「何をとは、おろかな」
「若君の御生害を見るほどなら、熊太は、こんな苦労はいたしませぬ。熊太こそ、腹かっ切って、お詫び申さねば」
「ならば、刺し違えて死のう。熊太、わしを刺せ」
「犬死です、そんなやいば は持ちませぬ。武者なるからには、死ぬなら戦場で」
「その出陣におくれた身、是非もないではないか、いやなら、そちは生きろ、敦盛は、こうぞ」
「あっ、御短気な」
しきりに、争っていた時である。
「── 敦盛っ」
と、遠くからの声が耳をつき通って流れた。はっと、それへ振り向いた二人へ、まるでその の中へ飛び込んで来るような経正の姿が映った。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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