しきりに噪
いでいた柵さく の番士は、やっと、経正の声に気づいたらしく、あわてて中ノ木戸へ走って行き、 「なんぞ、お召しで」 と、廊の上の経正を仰いだ。 「騒がしさよ。たれか、柵門へ参ったのか」 「はっ」 「もしや、敦盛ではないのか」 「されば、その・・・・乙子おとご
の君 (末子) ではございましたが」 「や。それをば、なぜ猛々たけだけ
しゅう、拒んでおるのだ。待ちかねていたものを。── 早くここへ連れて来い」 「・・・・が、じつは御出陣の前に、大殿より固く申し渡されておりますために」 「父君が?」 「一歩たりと、わが仮屋へ入れてはならぬ。もし、姿を見せたら、追い払えと」 「・・・・ああ、そうか。・・・・ご無理もないこと。生きて還るそらもない将士を率ひき
いて一つ船出をなされたのだ。麾下きか
の兵の手前にも、そう仰っしゃらねばならなかったことであろう」 経正は、指を瞼に当てて、せぐりあげる熱いものを、しばし、押しぬぐっていたが、ようやく面を直して、静かに言った。 「後々のことすべて、経正が身に引き受けて、決して、そちたちの落度にせぬゆえ、敦盛を、そっと、これへ通してくれい」 「ところが、はやいずこへともなく、悄々すごすご
、お立ち去りになりました」 「それとて、つい今のことであろう。追いかけて、連れ戻せ」 すぐ、番士たちの影が、わらわらと、柵門を駆け出して行くのが見えた。 けれど、そのわずかな間も、経正には長い気がした。いつか、彼自身もまた、柵の外まで出て、首を長くしていた。 しかし、やがて引っ返して来た番士たちは、 「たしかに、潟元かたもと
へ降りられたはずですが、さらにお姿は見えませぬ。どう行かれたやら?」 と、口々に怪しむだけだった。 「では、峰であろう。いや、わしが探して来る」 経正は西の谷道を渡って、山の上へと急いだ。この島は、島そのものが山で、遠くから望むと屋根の形をしているといわれている。 松ばかりな山上の一端に、唐風からふう
な大寺があった。唐とう の渡来僧が建てたとか、弘法大師もいたことがあるとかいう古刹こさつ
であった。 「── 弟よ。敦盛よ・・・・」 と、松風の中を呼んでゆく声が、あなたこなたを、さ迷うて来た果て、やがてそこの山門へと近づいていた。 それより少し前のことである。 主従らしい二つの人影が、吸われるように、山門を入って行った。敦盛と熊太であった。 ここまで歩いて来る間に、敦盛は
「死のう」 と考えて、 「お詫わ
びの道はそれしかない」 と思いつめた容子ようす
である。 郎党の熊太は、敦盛の心を読んで、眼を離さない。そして、さまざま、生き抜く途みち
を説くのだった。ふたたび小舟で、摂津の戦場へ渡り、大殿の面前に伏して罪を待ち、そのうえ、お覚悟あっても、遅くはない、というのである。 「いやだ、父君には、どんなおしかりをうくるもよいが、一族の誹そし
り、一門の冷やかな眼、思うだけでも、耐えられぬ。介錯かいしゃく
を」 大きな松の根元に座り込んで、敦盛は、小刀を手にしかけた。 「や、何をなされますぞ」 「何をとは、おろかな」 「若君の御生害を見るほどなら、熊太は、こんな苦労はいたしませぬ。熊太こそ、腹かっ切って、お詫び申さねば」 「ならば、刺し違えて死のう。熊太、わしを刺せ」 「犬死です、そんな刃やいば
は持ちませぬ。武者なるからには、死ぬなら戦場で」 「その出陣におくれた身、是非もないではないか、いやなら、そちは生きろ、敦盛は、こうぞ」 「あっ、御短気な」 しきりに、争っていた時である。 「──
敦盛っ」 と、遠くからの声が耳をつき通って流れた。はっと、それへ振り向いた二人へ、まるでその眸め
の中へ飛び込んで来るような経正の姿が映った。 |