〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-[』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十一) ──
ひ よ ど り 越 え の 巻

2013/11/15 (金) おと あに た ち (三)

事実、ここ数ヶ月の知盛や教経たちの働きは、目ざましかった。
讃岐の国府に っていた反平家勢力を一掃したのも彼らであり、伊予の河野こうの 通信みちのぶ を破り、淡路の安摩あんま 宗益むねます 、紀伊の園部そのべ 重茂しげもち 、豊後の尾形、貝田一党などを討ったのも、その水軍だった。
ために、およそ平家の水軍と見れば、瀬戸内せとうち から紀伊、豊後水域まで、立ち向かう武族もなかった。ほとんどが今では、屋島内裏へ帰服したといってよい。
しかし、陸上の戦いでも、その不敗が、不敗の兵であるかどうか。
まして、騎馬戦に得意な東国武者を相手としては、どうだろうか。
一門の会議では、長老の経盛が、たびたび、それに触れて、人びとの深慮を深めていた、ということを、子の経正も聞いている。
経盛は、子の経正や経俊に向かってもよく 「── 水軍は源氏になく、騎馬戦は、源氏が得意とするところ。瀬田、宇治川の合戦ぶりでもわかる。── 敵の得手えて を避け、敵の不得手に当るのが、戦略の一義と思うが、教経のりつね知盛とももり なんどの血気者が、なかなか かぬし、門脇かどわき 殿 (教盛) も、子に押されて、わしの言には、耳をかさぬ」 と、なげいていた。
そこへ、敦盛あつもり 失踪しっそう内輪事うちわごと が起こったため、一門の席でも、経盛はもう、そうした消極策は、いえない心理になっていた。
そして、ここさか んなる屋島平家の士気は、それを把握はあく する知盛、教経、重衡といったような三、四十歳がらみの ── 入道清盛の三男四男から、おい や孫に当る年齢層の若人たちに左右され、一門の運命も、ゆだねられたかたちであった。
経正、経俊、敦盛の三兄弟も、入道清盛の甥である。それらの人びとの下風に立つものではない。
けれど、敦盛の失踪以来、その一家は、何か、戦意も士気も揚がらないもののように見えた。事実、一門の間に、冷やかな陰口もあった。
口惜しいことだ、心外なことだと、経正は恥に耐えていた。
「父のつらさは、これ以上であろうに」 と、思いやられる。
これやこれで、彼は屋島に残ったわけだが、しかしそれも彼の胸に 「弟は帰る。帰らぬような敦盛ではない」 と、人知れず、信じて疑わぬものがあればこそだった。
── 果たして今、その弟は、柵門さくもん の外まで帰って来たらしい。
経正は、自分の一室を起って、廊から外の方の気配を聞きすましたが、
「── たしかに、弟」
と知ると、とたんに、まぶた を熱くして、 「やはり、わしが信じていたとおりな弟だ」 と思った。そして、あんなにまで、心配をかけさせられたことも、人への恥を忍ばせられた恨みも忘れて、よろこびだけが、胸いっぱいにあふれかえった。
で、彼は思わず、その縁から伸び上って、
「敦盛、敦盛っ。・・・・いま帰ったのか」
と、大声でどなった。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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