〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-[』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十一) ──
ひ よ ど り 越 え の 巻

2013/11/11 (月) 屋 島 の 恋 の 子 (三)

磯松原、また松並木、松が岡と、牟礼むれ への道は、耳から松風の絶えるひまもない。
まもなく、山の屋島は、明の星をふさ ぐ行くての壁として黒々仰がれ、五剣山ごけんざん の肩がその後ろに重なって望まれる。そして、ほどなく、六万寺の前へ来た。総門は、ふかい木蔭の奥に眠っている。
「やあ。・・・・それでは、ここで」
と、吉次は立ち止まって、
朱鼻あけはな どのは、この六万寺の一坊に仮の住居と便りにあった。いずれまた、お会いしましょう。父の君へも、どうぞ、よしなに」
と、あいさつを述べ、すたすたと、ひとり総門の方へ別れて行った。
その六万寺には、敦盛たちも、一ころ、起居していたことがある。
一門の人びとが、九州の大宰府だざいふ 、門司ヶ関など、流浪に流浪を重ね果て、去年、この屋島へたどりついた当座は、主上の安徳天皇には、六万寺を、行宮あんぐう とされて、軍営も一時、この総門の内におかれていた。
が、その後、四国、淡路を始め、瀬戸内の島々や、山陽、山陰、九州の一分からも、味方に せ参ずる武族が急激に増え、軍営は、屋島のうちへ移された。そして、主上の内裏もまた、潟元かたもと と呼ぶ地に造営されたのである。
そのため、敦盛の父経盛ばかりでなく、奉侍の人びとの仮屋もみな、屋島の内へ普請ふしん して、移っていた。
「・・・・はて、妙な男でございましたなあ」
吉次と道連れのうちは、ひどく無口だった熊太が、彼のうしろ姿を見送ると、こうつぶやいた。
「余り大きなことばかり申すので、何やら得体えたい が知れませなんだ。・・・・あんなのには、御用心なさらねば」
「でも、秀衡殿の家来と申しておれば」
「口はなんとでも言えましょうに。・・・・若君はまだ、世のおそ ろしさなど、何もご存じない」
「いやいや、それは都にいたころのこと。筑紫つくし 、大宰府など漂泊さすろ うて、人の心の表裏ひょうり は、知り抜いた」
「なかなか、そんなものではございませぬ。あの男の、眼のするどさ。それに、割符わりふ も持っていなかったようだし」
「恩こそあれ、彼に、怨みはない。割符は持たずとも、六万寺の坊船を使うてここへ来たほどな男」
「いえ、おま思えば、六万寺坊船の船印も、偽やら何やら知れたものではございません」
「そう、おことのように、人を疑うたらきりはない。陣営の深くではなし、朱鼻の許まで来たぐらいな者、なんの仔細しさい があろうぞ」

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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