では。おことはなんと申さるるお人か」 敦盛の方から問われて、男は急に、 「まこと、申し送れました と、居ずまいをあらためた。 「てまえは、金売り商人
吉次きちじ と、世間では通っておりまする」 「ほ、あの遠い奥州の国人くにびと
か」 「されば、奥州の人間には違いございませぬ。── が、まことは、平泉の藤原秀衡殿ふじわらひでひらどの
の家中で、金沢次郎かなざわじろう
吉次よしつぐ と申す者」 「どうして、二つの名や二つの姿などを」 「奥州より、京、西国へまいるには、どうしても、源氏の領国を越えて来ねばなりますまいが」 「あ、そのために」 「御一門ではないが、あの朱鼻あけはな
どのとは、古い誼よしみ で、太政入道清盛公がおさかんなころより親しい仲でした。以来、平家方より奥州藤原家への密々なお使いも、奥州より平家へ送る武器や物資も、この吉次の手にかからぬは何一つないほどで」 と、彼の自慢は虹にじ
のようだ。 公達育ちのまだうら若い敦盛は、疑うことを知らなかったし、味方にとって大事な役割をしている人物とも信じられて、彼の一言一言に聞き入っていた。 「このたびも
──」 と吉次はなおその大言を続け、 「みちのくの大船百艘に食糧、馬匹、布、漆、皮革、武器など、軍になくてはならぬ物のみ満載して、すでに西国へ向け、奥州の港を出ておるなれど、どこへその船を寄せるか、へたをすれば、源氏の手に抑えられる惧おそ
れもあり、心を砕いているのでおざる。── で、それらのことを打ち合わせのため、朱鼻殿に会わんと、屋島へ急ぐこの寺船に、あなたを乗せまいらせるも一つの御縁。──
屋島陣屋の木戸の案内頼み申すぞ」 と、何もかも秘すところない容子だ。 「いと、やすいこと」 と、敦盛は答えて、また、熊太の顔をかえりみ、 「かねてより、秀衡殿と平家との間には、奥州の北方より鎌倉の後ろを突かんという密ひそ
かなお約束もあったとか聞く。── もし、そのような御加勢が表立てば、京の源氏も、いちどに浮き足立って崩れ去るにあろうに」 と、言った。 しかし、世間の中に年をとって来て、人にもいろいろな目にあわされて来た下臈げろう
の熊太には、敦盛のように、すぐ単純なよろこびは持てなかった。毛深い顔は、すこぶるあいまいないなずきをしただけで、酒にさえ用心深く、おりおり、その眼は撫な
でまわすように、吉次の人間と心の裏を見ようとしていた。 また、日が暮れる。 長い夜を、手枕になる ──。 そして船が、四国の志度しど
へ着いたのは、二十八日の朝もまだ暗いうcぎだった。 深い湾に抱かれた志度しど
ノ浦うら は、左右の山も水も、ひっそりとした谷の海といった感じでもある。しかし、ここはすでに屋島陣屋の内の一ノ木戸と聞いて、吉次は、 「どやどや行って、疑われてもつまらない、皆は船に残っていろ」 と、船中へ言い捨て、ただ一人で敦盛と熊太のあとに従って行った。 木戸へかかるたび、熊太は、 「これは参議経盛卿の御三男、敦盛の君でおわす。こう申す供の下臈げろう
は、稲川いながわ 熊太くまた
。ほかに伴ともの うたるは、奥州秀衡殿の御家来で
── 」 と、いちいち割符わりふ
のような物を出して、篝かがり
の兵に見せていた。 |