由来、この辺は、古くから渡辺党と呼ばれる武族の居住地で、遠くは、かの渡辺
ノ綱つな を始め、文覚上人もんがくしょうにん
の祖父もここの出だし、源三位げんさんみ
頼政よりまさ の乱を助けた武者には渡辺党が多かった。 で、先ごろから族党の間では、
「源平いずれに加勢するか」 で、内輪うちわ
揉も めしていたらしい。世間ではつい昨日までも
「渡辺党は、戦いくさ の外に立ち、源平のどっちへも、拠よ
らぬそうな」 とうわさしていた。けれど、それが堅持出来るほど強大な勢力ではないから、ついに、源氏の催促さいそく
に、応じて行ったものとみえる。 ── それの通過を、木蔭から見送った美少年は、なおさら、矢のような帰心きしん
にせかれたらしく、 「戦は迫った。あすにも源氏の西下となるやも知れぬ。ああ、こうしていられる身ではない。熊太は、まだか」 と、じっといるにもいたたまれず、浜の方へ歩き出した。 すると、河口に近い雑鬧ざっとう
の中だった。 廻船宿らしい家構やがま
えの軒先から、すぐ前の船着き場へ、往来を横ぎって、ぞろぞろ出て行く同勢十数名の旅人があった。 中でも、一だん服装もよく、痩や
せて狼おおかみ のようだが、背はすぐれ、この同勢の宰領さいりょう
かとも見える五十がらみの男は、ふと、鋭い眼のくぼから、美少年を見て、 「・・・・はてな?」 小首を傾かし
げた風だった。 が、それはただ、そう見えたという行きずりの人の気振りに過ぎない。 その男も同勢も、みな渡り板をこえ終わると、すぐ帆支度ほじたく
やら、纜ともづな を解く用意に忙しそうだった。 船は大きい。左舷さげん
右舷うげん に、多くの櫓ろ
をそろえ、さらに帆を張り上げれば、どんな風浪も越ゆるであろう。速船型はやぶねがた
のみよしは斧おの の刃のようである。 見ると、その舳みよし
の横に、 “牟礼むれ 六万寺ろくまんじ
坊船ぼうせん ” と書いてある。 「や、六万寺の船か。──
寺領の物や貢物みつぎ を運ぶ寺船てらぶね
とみゆる。ならば、志度しど へ行くに違いないが」 美少年は、とっさに、何か、望みを起こしたらしいが、あいにく熊太がそばにいない。
「熊太よ、何をしているのだ、早く来い ──」 と叫びたいような容子ようす
をして、伸び上ったりした。 やっと、その熊太が駆け戻って来るのが見えた。近づくやいな、彼は、 「今朝から渡辺党の触れがまわり、淡路、四国への渡海は、まかりならぬと、船止めしておりますそうな。そのせいか、二ツ松に待たせておいた小舟も、どうしたやら見当たりませぬが」 と、声もしどろに、 「さてさて、なんとしたもの。いっそ、住吉辺まで行って思案を立て直さぬことには」 と、手の甲で、額の汗をこすった。 耳もくれず、美少年は、 「ええ、そのようなこと、もう、どうでもよいわ。あの船を見よ、熊太」 「どうでもよくはございますまいが」 「見よというに、
── あの船を」 「えっ?」 「なんと、六万寺の坊船ではあるまいか」 「オオ、まこと、牟礼むれ
の寺船のようで」 「わかったか」 「わかりまいたが?」 「思うに、この敦盛あつもり
が心をあわれみ給うて、御仏みほとけ
が渡しの船をここに示現じげん
し給うものと思わるる。敦盛あつもり
が亡き母君は、人いちばい御仏に帰依きえ
あつき方でもあったゆえ」 「・・・・でも、武士や商人あきゆうど
やら、うんさな男どもが、あまた見えまする。ひょっとしたら、瀬戸内せとうち
の海賊どもではございますまいか」 「ならば、なおよからん。── 黄金こがね
、財物ざいもつ 、望みの物は、なんなりと得させてん。ただこの身を、屋島の近くまで渡してくれよと、頼むがよい。──
船が碇いかり を上げぬまに、あの痩せ顔の背高き男に、おり入ってと、幾重にも身をかがめて、頼んでまいれ」 |