幼いみかど、御母の建礼門院、二位ノ尼、一門のたれかれ、女房たちまで、大きな輪を作って、冷たい苔
の庭に坐った。 かなたの法華堂で鐘が鳴り、一族の裕円ゆうえん
、仲快ちゅうかい 、能円法師の読経が流れ始めると、磯の燈籠堂とうろうどう
が、ほたる籠かご のように輝いた。三十六燈とう
の明りがいちどに点とも ったのである。 それが、海に映じて、瑤々ようよう
と波上を送られてゆく光のかなたに、経きょう
ヶ島しま の築堤ちくてい
が、黒々と横たわっていた。清盛が、半生の財と情熱を傾けたものだ。 築堤は、今では海底と密着して、どんな荒天の波浪にも、永劫えいごう
、壊つい え去ることはない。清盛が積んだ権力や遺産は、もろくも崩れてここに流亡の姿を伏し並べたが、経ヶ島は、ゆるぎもしない。滅びようもない。 「もう、おしかりも聞かれませぬが、今日この有様を、いかばかり、地下でお怒りでしょうか。お詫びする言葉もございません。ただ、一門力を協あわ
せあて、都に帰る日を呼び返し、ふたたび、ここに詣でる日を誓いまする。── しばらく地下のおん嘆きを、どうぞお忍びくださいまし」 宗盛以下、胸の内は、みな一つであったろう。順々に、墓前へぬかずき、香華こうげ
を手向たむ け、そしてそれが終わると、管絃講かんげんこう
を催して、故人の霊をなぐさめた。 鼓つづみ
を、宗盛が打ち、羯鼓かっこ を重衡が持つ。また、経正は琵琶びわ
を抱き、敦盛あつもり は笛を吹き、笙しょう
を建礼門院が弾ひ いて和した。 やがて、天人界のもののような、きれいな、しかし余りに塵ちり
の気もなくて寂しくもある合奏が嫋嫋じょうじょう
とわき起こると、松の風も、それに和して、こずえの露を降りこぼし、人も楽器も、地上一面の苔こけ
も、白珠しらたま でちりばめられた。 陰暦いんれき
二十三夜ごろの月が、松より低い空にあった。── 管絃講も終わるころは、さらに、月は、低く薄くなっている。 「おう、時刻らしい。雪ノ御所に、ちらと、炎が立ち出した」 「ああ、見え始めたか」 「急がねばならぬ。まず、御座船おざぶね
へのおわたりを」 その御座船を始め、磯辺に、築堤に、漕こ
ぎ寄せられた数百艘の内へ、一門の男女は、みな、分かれ分かれに乗り移った。 暇を与えた者や、自分から逃げ去った者など、人数は、ずっと減っていた。でもなお、総勢八千人はくだらない落人おちゆうど
だった。どよめき、どよめき、海へ漂い出たのである。 もうそのころ、福原は、一面、火であった。会下山えげざん
のふもとの家ばかりでなく、木も岩も赤かった。狂風が起こり、海には潮鳴しおな
りがうねった。波間なみま 波間なみま
の船さえ燃え上がりそうに見えた。 |