〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-Z 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (九) ──
一 門 都 落 ち の 巻

2013/11/01 (金)  ぜん かん げん こう (二)

いつもの、丸い背を、よけい前屈まえかが みにして、宗盛が元気なく戻って来ると、雪ノ御所の一殿いちでん では、もう皆が待っていた。
ごく内輪だけだったが、この席で、小さい争いがあった。宗盛が、
「落去の直前に、たしかに命じておいたのに、池殿の陣へも、出先の肥後守ひごのかみ 貞能さだよし へも、知らせの使いが行っていない。池殿が都に居残り、貞能が暇を乞うて去ったのも、その腹立ちよ」
と、愚痴めいて言ったことから起こったのである。
内大臣おおい の殿には、去った者へ、なお、それほどの御未練にや」
と、新中納言しんちゅうなごん 知盛とももり能登守のとのかみ 教経のりつね など、気の立っている公達きんだち ばらが詰め寄って、
「しからば、法皇の御出奔も知らず、ついに、大事な御一人をいつ してしもうたのは、たれのせいでしょうか。仙洞 (法皇の御所) の儀だけは、宗盛が心得おると、のみこみ顔に、仰せ切ったではございませぬか」
と、その抜かりを彼に責め、また、
「主上は、おいとげなく、勅といっても、叡慮えいりょ に出るものとは、たれも受け取りません。それなのに、法皇をお逃がし申してしまうなど、まさに、千載せんざい の恨事です。内大臣おおい の殿の手落ちです。池殿などは、居残ろうと、東へ行こうと、犬に食われろ、知ったことかは」
と、教経のりつね などは、耳を紅めて、言い散らした。
しかし、集議の顔ぶれは、およそ叔父おい か父子か従兄弟いとこ 同士の濃い仲で、いわば親類会議にひとしい。なだめ やしかり は、いくらでもある。割れたままになるおそ れはまずなかった。
まして、一蓮托生いちれんたくしょう の誓いはいうまでもない。やがて、原田大夫はらだのたいふ 種直たねなお と菊池次郎高直の二名も座に加わった。二人とも西国平家の雄将である。わけて種直は、清盛に愛され、小松殿の一女を妻ともしていた。── 座にいくれて見えたのは、船方ふなかた の準備に努めていたのである。
御座船おざぶね を始め、大船数百艘、あけ にはそろいまする。水夫かこ 舵取かんどり は、松浦党、菊池党、それがしの手の者など、いずれも海上の手馴てな れ、お案じなこように」
種直は、力づけたが、人びとは、内輪揉めもどこへやら、おのおのひしと顔色をひきしめた。
筑前の国大宰府だざいふ とは、人の話や文書もんじょ では知っていたが、およそ、そこまで旅した者はまれである。九州といえば、東国と同様に、万里雲煙ばんりうんえん の遠地が想像されるのだった。
「── 明日は波路なみじ の上、ここも、今宵一夜ひとよ ぎりぞ」
しかも、行く末どんな運命に待たれている身か、胸を まずにいられない。やや落ち着けば落ち着くで、思いは新たに、みな、行く手の空にあるのだった。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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