〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-Z 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (九) ──
一 門 都 落 ち の 巻

2013/10/29 (火) 赤 と ん ぼ (一)

淀の流れに添い、洛中の煙をあとに、長い列を描いて落ちて行く一門平家の人びとは、二十六日ひる ごろ、山崎の関戸せきどいん (関所官舎) にかかっていた。
七月末は、なお残暑が強い。道もあれからまだわずかしか来ていないが、昨夜からの疲労と空腹に、人びとは、はやくもあえ ぎがちだった。
「主上にも、さすが、ひも じゅうおなりあそばしたとみえ、先ほどから御輿みこし のうちにて、おむずがりの御様子よ。武者どももみな、汗まみれ、このあたりで、ひと息、息をつごうではないか」
教盛のりもり のすすめに、大納言時忠もうなずいた。やがて、輦輿れんよ のおそばから前後へ向かって、
「やよ人びと、かなたの関守せきもり 小屋へ、ひとまず御輿みこし えたてまつれ。そして、供奉ぐぶ の面々も、かし ぎて、腹を満たし、牛にも馬にもかて を与え、しばし休息するがよい」
と、告げわたした。
まもなく、せきさく をめぐって、野に煮炊にた きする無数の煙がにぎわった。しかしそのにぎわいも涙だった。つい昨日まで、西八条や六波羅の生活を思い比べ、また、兵たちは、別れて来た妻子が今日はどこで何を食べたか食べないでいるやら ── と考え出したことであろう。
ひとり、お無邪気むじゃき なのは、幼い帝であった。山野の旅もいめずらしげだし、それに、供御くご の器物もないまま、女房たちが、うるち の葉で包み、ちまき にしてさしあげると、それがすっかりお気に入ったようだった。── おん母の建礼門院や典侍てんじ たちは、ともすると涙なのに、みかどは、なんの御屈託ごくったく もなく、そこらに群れる赤蜻蛉あかとんぼ の一つの羽へ、そっと、小さいお手をお伸ばしになったりしている。
べつな輿こし を降りて、一門の妻子や大勢の女房たちに囲まれていた二位ノ尼 (清盛の未亡人) は、建礼門院が、何も食べないのを憂えて、
「浮き沈みは、世の常です。初めてかかる目に会うあなたゆえ、おしょく の通らぬのも無理はないが、尼などは、西八条殿 (清盛)とつ ぐ前も、とつ いでからも、いくたび似たような思いを越えたか知れません。・・・・ただ、そのころは、一族もまだ少なく、今とは、小さいと大きいとの苦労の違いでしかない。そして、そうした中にも、あなたたちを生み、この年まで生きぬいて来ましたぞや。・・・・あなたは、まして万乗ばんじょう の君を生みまいらせた御国母おんこくぼ
ここまで言ったが、尼は、われから袖で顔をつつんでしまった。
あとは、何も言えないのである。言えば、余りにむご い言葉でしかない。
── が、建礼門院は、みかどの御母たる身として、自分への老母の気持はすぐ分かった。素直に、しかし、気をしっかりと張って見せて、
「今はまだ食もすすみませぬが、お案じ下さいますな、みかどの御成人までは、氷雨ひさめ にも風にも、きっと、 って行きまする。もう、今日限り、涙もお見せいたしませぬ」
と、静かに誓った。
ほんとに、そうした誓いを、いま、抱いたらしいおんまゆ に見えた。
外では、へい 大納言時忠や、子息しそく 時実ときざね などが、
輿丁よちょう の人びとは、はや、御輿みこし をこれへ え参らせい。余りに時を過ごすもいかが」
と、供奉ぐぶ の出発を、性急に、うながしている。
建礼門院ももかどのお手をひいて起った。しsて、ふたたび輦輿れんよ へ入ろうとしたが、みかどは急にだだをおこね遊ばして、 「乗るのはいや」 とばかり、泣き顔をきつく振って、おききいれの模様もない。
供奉ぐぶ の一門男女、公卿、武者、雑色ぞうしきわらべ までの一万余人は雲のように、それぞれの乗物や馬のそばに寄り合って、主上の召される八人かつ ぎの御輿みこし が揺らぎ上るのを待つのだったが、どうしたのか、手間取っていた。
── 見ると、老経盛ろうつねもり が、お側へ行って、建礼門院と一緒に、しきりに、みかどのご機嫌をとっている。
が、みかどは、なお 「いや、いや」 と泣かぬばかり、かぶりを振っておいでになる。
まだお六ツだし、言い出しては、やはり男の子である。鳥籠とりかご窮屈きゅうくつ さを嫌って、秋空を恋しがるのも御無理はない。 「── 歩く」 と仰っしゃってきかないのだ。踏んでみたこともない広い山野さんや の土を、自然、その小さい御足みあし で踏んでみたがるものとみえる。
赤とんぼと一緒に、自由に、駈け遊んでみたいうず きにしゃくりあげられている御気色みけしき だった。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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