〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-Z 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (九) ──
一 門 都 落 ち の 巻

2013/10/28 (月) 歯 が ゆ い お 人 (四)

貞能の意見でにわかに、道は、変更された。輦輿れんよ を中央に、武者八千余騎、その中には、あらゆる形の輿こし 、あらゆる種類の牛車、幾百輌も交じって、秋風の中をゆく亡命の大行列は、果てなきまで、えんえんと西へ流れた。
それに背向そむ いて、肥後守貞能は、宗盛と談合のうえ、部下五百余騎を連れて、淀で別れた。
しかし、彼の引っ返しは、池頼盛のそれとは違う。
「前後、すべての乱状、ことごとく、平家に利あらず、さいも天命のとき とはいえ、木曾の駒音こまおと に驚いて、一門、枯葉こよう となって西国へ落ち行き、清盛公相伝の府を守らんとせし一兵もなかりしとあっては、末代まで平家武者の名折れなれ、身においとま を賜らば、京の中にいて、いかようにも成り果て申さん」
との願いで引っ返したものである。
── で、彼は、西八条の焼け跡に、大幕を引かせ、
「われは、御一門の殿軍しんがり 。平家武者の一陣、なお、これにあるぞ。── 平家二十余年の恩顧を思う者は、これへ集まれ。ともども、木曾を迎え撃って、花と散ろうに」
と、揚言していた。
けれど、諸方へ離散したはずの者も、ここへは、一騎も寄って来なかった。
眼に見える限りの物は、焦土と、骨のような木々、瓦礫がれき である。── でなければ、山猫やまねこ のような盗児か、飢えた男女の、自失したような影でしかない。
一夜を、そこに明かし、
「これが、今日の西八条か」
と、七月二十五日夜の下弦かげん の月を仰いだとき、貞能は、そつ然と、武者の身がいやになった。
その夜の内に、所を変え、小松殿 (重盛) の墓所を兵に掘らせた。そして土中の重盛の白骨を、
「高野の峰へ移し、安らかにとむら い申せ」
と人に託し、軍を解いて、夜の明けぬまに、自分は遠く東国の宇都宮へ落ちて行った。もちろん、仏門に入る気であろう。
彼が、こんな発心ほっしん を遂げて、たちどころに、修羅しゅら 相殺そうさつ宿業しゅくごう の外へのがれ去ったとは、翌日はまだ、たれも知らなかった。
そして、いったん退去した平軍の一部が、ふたたび洛内に帰って、戦備をしているといううわさだけが、強くひろまっていた。
「すわ、わが身の上」
と、おび えたのは、さきに仁和寺附近の一院にかくれた池頼盛であり、 「── ここも、あや うからん」 と、騒ぎ立っている間に、様子を見に行った彼の侍者が、
「いずこへ去ったものか、けさは、肥後守貞能も見えませぬ。さしたることではなかったのでしょう」
と、告げたので、やっと、落ち着きをとりもどした。
かれが身をひそめた所は、仁和寺にんなじ 中の常盤井殿で、ここへは、洛内の騒ぎを恐れ給うて、八条の女院 (鳥羽帝の皇女) が先に避難されていた。
いちどは、追手かと疑って、恐れわなないた貞能も去って、頼盛の一難は、まず去ったかに思われたが、やがて、陽も高々と、のぼって来たころ、また新たなる恐怖が、彼をくるんでいた。
── 夜来、待機していた木曾の将士が、書道から一せいに侵入を開始し、初めて、その姿を洛中に見せ始めた革命の跫音あしおと だった。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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