それにしても、盛嗣は、いつまでも業腹
でならなかった。彼は、侍大将の一徹者だ。実戦には、部下を殺し、自身も常に死を賭か
けている。内輪の破綻はたん に抱く憎悪ぞうお
は、たれより烈しく、そして自然、憤激しやすい。 だから、彼の眼で見る内大臣おおい
の殿は、歯がゆいほどお人がよい。── 世評、内輪でさえも、宗盛の人物評は、決して、かんばしいものではない。しかし、一面、その人のよさには、惚ほ
れ込んでいる者もあった。盛嗣などもその一人である。 「その御気性だけは、亡な
き清盛様に似通わらせている」 といい、ほかの似ていない点は、言わないのであった。 事実、池頼盛が、恨みに思ったほどには、宗盛の方では、悪かったとも感じていなかった。山科に出兵中の頼盛一人を、故意に、置き去りにしてゆく気などは、毛頭、なかったものらしい。 それはまもなく、宗盛が、淀川の岸辺まで、来ると分かった。 そこには、主上の輦輿れんよ
が、彼をお待ちかねであった。輦輿を繞めぐ
っては、一門の老将、公達きんだち
、侍大将、家人、郎党、女房車など、生気もない一万余の人びとが、唖おし
のように黙ったまま、けさの秋風に吹かれていた。 「おう、内大臣の殿にも、追いつき召されたぞ」 「はや、一門のうち欠けたと思われる者もない」 「さらば、はや・・・・」 と、御輿みこし
の近くから、人びとは騒ざわ めき立ち、宗盛の姿を囲んで、なにやら評議をしていたが、やがて、左馬頭さまのかみ
行盛が、川の水際みずぎわ に立って、主上の御座船を呼びはじめた。 水の上にも、数百艘の小舟が揺れ揺れしていた。わけて大きな一艘は、主上のお召し用である。そてへ御輿を移しまいらせ、福原まで船で
── となっていたのである。 ところが、そのお支度中、 「御船では、心もとない。無用無用」 と、大声で止めた者がある。 たれかと見ると、ちょうどこの時、おくればせに駆けつけて来た一隊の兵馬があって、その先頭に見えた肥後守ひごのかみ
平たいらの 貞能さだよし
だった。 貞能は、語気あらく、 「淀川の末には、怪しき舟影が、うろうろ見えた。陸路くがじ
なれば、供奉ぐぶ の御守護にも頼りはあるが、水路を参られなば、漁夫ぎょふ
の網を望んで、われから群をなしてゆく魚のようなものだ。危ないことだわ」 と、たれへともなく、言い散らし、馬を降りて、宗盛の方へ、ずかずかと、歩いて来た。
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