〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-Z 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (九) ──
一 門 都 落 ち の 巻

2013/10/26 (土) いけ 殿どの ひき かえ し (二)

羅生門を西へ、洛外の秋の野に、鳥羽とば離宮りきゅう安楽寿院あんらくじゅいん の堂塔が見える。
門前町を割って行く街道は、落ち行く車馬の大群に行きつかえて、人も馬も動きはつかない。
池頼盛の一家も、やがてその流亡群のなかに揉まれていた。この辺、ひどい悪路だし、夜は明けきれていない。おたがい、他家の郎党や他家の車とも見分けはつかず、呼び合い、呼び合い、ひしめいていた。
「遠くも、ほかを行こう。そこを曲がれ、そこを」
頼盛は、伸び上がって、家族らの女車を、むりに狭い田舎道へ引き込ませた。そして、
「かなたの森に沿って、北に向かえ」
と、自身先に立って急いだ。
離宮の南門が、田圃たんぼ ごしのかなたになった。道はまた元の京へ向かって行く。何か、様子が変である。子息の仲盛、光盛をはじめ将士もようやく怪しみ出して、
「はて、おまちがいではないか」
と、頼盛の姿にばかり気を留めて駈けにぶ った。
すると、後ろの方から十騎余りの武者が追い慕って来た。池殿の行動不審なりと見て、一門のたれかに命じられ、その行く先をただ しに来たに違いない。
「やあ、急がるるは、池殿の御一族と見奉るが、にわかに道を変えて、いずこへ向かわせ給うぞ」
「よもや、都へ戻るふた心でもおわすまいに」
「この裏道は京へつづく道、ふた心にあらずば、元の道へ返し給え」
と、口々にわめいた。
頼盛は、きっと振り向いて、
下臈げろう の知ったことか。都の内に忘れたることのあって戻るになんのふしぎ。雑言ぞうごん 申すな」
と、しかった。
武者たちは、さてこそと、
内大臣おおい の殿 (宗盛) の仰せをうけ、途々みちみち曲事ひがごと を見まわる越中次郎えっちゅうのじろう 兵衛盛嗣ひょうえのもりつぐ 殿どの が手の者ぞ。ここは通し申さぬ。何はともかくお返しあれ」
「しゃつ、面倒な」
左右の子息や、家臣を見て、
「追っ払え、無礼な下臈げろう どもを」
ののしったばかりか、頼盛は、ふっと、自省を失った人のように、やにわに弓に矢をつがえた。
「やあ、何を遊ばします」
駒を並べていた光盛、仲盛などは、仰天して、父の弓手ゆんで を止めようとしたが、矢は、とたんにつる を放れ、相手の武者の一人はもう馬上からまろび落ちた。
「あっ、射ったぞ。味方へ向かって!」
瞬間、盲目的な矢が、五、六本と飛び い、理性を失った相互のおめ きがぶつかり合った。馬と馬、白刃と白刃が噛みあう下に、すぐ二、三の武者は、馬蹄ばてい に踏まれ、泥土には血が光った。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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