〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-Z 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (九) ──
一 門 都 落 ち の 巻

2013/10/26 (土) 「せい ざんべつ (三)

やがて、御室おむろみや は、
「・・・・料紙を」
と、侍者の行慶に命じ、行慶が供えた硯箱すずりばこ の筆をとりあげて、

あかずして 別るる君が 名残をば
    後のかたみに つつみてぞおく  

と、別離の一首を、経正に餞別はなむけ された。
「かたじけのう存じます」
押しいただいて、鎧下の肌着はだぎ にそれを秘める彼の姿を見て、宮は、
「経正にも」
と、侍者お手から硯を与え、彼の返歌を求められた。
経正は、料紙をいただいて、それへ、

くれ竹の かけひ の水は かは れども
    なほ住みあかぬ 宮の内かな
と書いて、お答えした。
「やさしさよ」
と、いく度もお口のうちで みながら、法親王の宮は、なお涙をあらたかにした。しかし、とうこうして、空は白みかけている。名残は果てしないも、経正は、さらに、まじまじとお顔をながめ、最後の一礼をして、ゆか を降りた。
ひそかに、前後の様子を、垣間見かいまみ ていた仁和寺の童形どうぎょう (稚子) や坊官や侍僧たちは、
「あわれ、ふたたび帰らぬ人の立つ」
と、門前にまで、見送って来て、別れを惜しんだり、慰めたり、励ましたり、いずれも、袖を濡らさぬ者はなかった。
中でも、法印行慶ほういんぎょうけい は、葉室はむろ 大納言だいなごん の子で、経正が稚子のころから、仲のよい友だちであったから、経正が、 「もうよい、いくら送ってもらっても、名残は尽きないから」 と言っても、 「もう少し先まで。いやそこまで」 と、いつか桂川のほとりまで一緒に来てしまった。
行慶も、そこで ── “あはれなり 老木おいき 若木わかぎ も 山ざくら  おくれ先だち 花は残らじ” と別離を んで、友に示した。
経正の返歌には ── “旅ごろも 夜な夜な袖を かた敷きて  思へば我は 遠く行きなむ” ── と、あった。
「行慶どの、さらばぞ」
自分をむち 打つように、そう言い切ると、経正はもう後も見ずに駒を飛ばしていた。
やはて、約束の所に待ち合わせていた彼の手勢が、彼の来る姿を見るや、旗を振って、駒の前後に、むらがり寄って来た。そして、川霧の果て、淀のあたりに、主上の御輿みこし の頂が、朝の に、きらめくのを見、急ぎに急いで、やっと、追いつきまいらせた。
著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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