〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-Z 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (九) ──
一 門 都 落 ち の 巻

2013/10/25 (金) 「せい ざんべつ (一)

おなじころ、かの経盛つねもり が嫡子の、皇后宮亮こうごうぐうのすけ 経正つねまさ も、西下の人びとにおくれて、従者五、六騎を連れて、仁和寺の御室おむろ御所ごしょ へ急いでいた。
経正は、八歳のころに、仁和寺へ入れられて、十三の元服まで、稚子ちご として、御室に仕えたことがある。
初歩の学業もここで受け、和歌、音楽、仏典、左方などのしつけ も、すべて仁和寺でまな びを受けた。── いわばここは彼の童心のふるさとであり、御室の宮は、師でもあり、里親さとおや にも似たお人なのである。
「なに。経正殿とな」
番僧たちは、門を打ちたたくおとず れに驚いて、奥へ駈け、坊官ぼうかんつめ の者に、
夜来やらい 、都は、未曾有みぞう な異変の中にあるやにうかがわれまする。かかるな中を、平家の客に門を開いては、いかがなもので」
と、すでに後日のたたりを恐れるような口吻こうふん で指図を仰いだ。
木曾兵はまだ洛中に見えないまでも、その圧力は、洛外諸寺院へ、もう、じかに しかかって来ている。坊官も侍僧さむらいそう たちも、
「うかとは、門を開けられまいぞ。たとえ、修理大夫殿 (経盛) の御嫡子であろうとも」
と、かたずをのんで、ためらった。
すると、御室おむろ侍者じしゃ 、大納言の行慶ぎょうけい 法印ほういん が、この由を聞いて、そっと、宮の御意ぎょい を伺った。
「むかし、稚子ちご としていた経正殿が、さいごのお暇にとて、御門側ごもんそく まで来ておりますが、どういたしましょうか」
すると、法親王は、
「経正が別れに来たか。時ならぬ時刻を思えば、なおさら、よくよくな思いと見ゆる。さしつかえない。内へ入れよ」
と、許された。
宮は、後白河の第二の皇子、守覚法親王しゅかくほっしんのうである。稚子のころから今日まで、宮の御愛情にもお変わりなかった。何かにつけて目をかけておいでだったのである。
侍者の行慶法印は、ふたたび、御前にもどって、
「思し召しを申しつたえましたるに、経正殿は、涙ぐんで喜びましたが、甲冑かっちゅう をよろい、弓箭きゅうせんたい して、あらぬ様なる装いに候えば、御前にまか るも、はばか りなれと、なお遠くに控えておりまする」
と、取次いだ。
「あわれなる遠慮かな。ほかならぬ今の場合、日ごろの行儀ぎょうぎ はいらぬ。その姿のまま、ただ、まかれと申せ」
行慶は、宮のお言葉を、経正に伝え、ほどなく、彼を後ろに連れて、御座ぎょざ の前なる小坪こつぼ (小庭) にひかえさせた。
その日、経正の装いは、紫錦むらさきにしき直垂ひたたれ に、萌黄匂もえぎにお いの鎧を着、姿のよい太刀をたい し、かぶと は、 いで背へ懸けていた。
重藤しげとう の弓を横に、ぬかずいていると、出御しゅつぎょ の気配がし、御簾みす が高く揚がった。そして、
「経盛か。よう見えた。これへ、これへ」
と、さい招くのは、まぎれもなく、なつかしいお方の声である。
「では、おゆるしあお」 と、きざはし を上って、経正は正面の大床おおゆか にあらためて座を賜り、さて ──
「行くては西海千里のかなた、またいつの日に、お姿を拝し得るかどうかもわかりませぬ。すでに、みかどを始め奉り、一門落去らくきょ に混みおうておりますが、つかの間、お別れにさん じました」
と、多年の恩育を謝した。
そして、供の侍、藤兵衛尉とうひょうえのじょう 有教ありのり の手から、赤地錦あかじにしき のふくろに入れた一面の琵琶びわ をうけ取って、うやうやしく、御前にさし置いた。
宮には 「何か?」 と、御不審な面持ちで、彼の姿と、その品とヘ、等分におん眼をみはられた。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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