〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-Z 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (九) ──
一 門 都 落 ち の 巻

2013/10/25 (金) びと ら ず (三)

「・・・・・・・」
俊成は、まじろぎもせず、底面の人の影を見ていた。感動を感動のままに いて、言葉にすることを忘れている。
そのあいだに、忠度ただのり は、よろい脇立わきだて の紐を解き、ふところから一綴ひととじちょう を取り出して、身をすすめた。そして、
「お恥かしゅう存じますが」
と、縁の端に置いて、またあとへ退がった。
俊成は手に取り上げた歌の帖を、しばらく見ていたが、やがて、心から心へ、しかと約するように、静かに言った。
「日ごろの心忙しさにさえ、なかなか、人は取紛とりまぎ れるもの。まして御一門都を落去、後も先も、ただならぬさいに、ようこそ、お訪ねくだされた。── この詠草えいそう とてまた、血ぐさい兵馬のあいだに、やさしきお心がけを留めおかれたもの。いわば歌の一首一首が生命いのち のお形見であろう。歌詠うたよ まんがための作り歌とは事ちがう。ゆめ、疎略そりゃく にはいたしますまい。── 忠度どの、おかたみは預った。心おきのう、西国へお立ちあれや」
「ありがとう存じまする」
露の中に、その人影は、ひれ伏して、
「いずれは武門の末路、かばねを野にさらし、はかなき名を、西海に流すことでしょうが、これで、思いおく事もありません。・・・・さらば、おいとま申して」
と、庭戸を辞して、もとのえんじゅ の木の下に立った。
かぶとの をしめ、駒にまたがり、数歩去ったが、去りがてに、その影は、もいちど、槐の門を振り向いていた。そして、和漢朗詠集わかんろうえいしゅうの中の、
  前途ぜんと 程通ほどとほ
  思ひを雁山がんざん の夕べの雲に
という一詩句を口誦くちず さみながら、また暗い朝霧の中へ駈け去った。
俊成は子の定家ていか とともに、門まで出て、その姿を見送っていたが、父子ともに、涙を目にため、やがて黙々と門をとざした。忠度が遺した自集の帖には、すぐ れた歌が少なくなかった。── それから年月としつき も流れて、もう名ある平家人のたれひとり世に生存しないころになっても、俊成は、おりあるごとに、忠度の歌がたみを取り出しては、その時のことを、人にも語った。
また、彼のせん になる “千載和歌集” もやがて大成されていたが、あまたな歌人才媛かじんさいえん の代表的な名歌のうちに、「故郷の花」 と題して、
    ささなみや
    志賀の都は荒れにしを
    むかしながらの
    山ざくらかな
の一首が載せられてあった。これは、 「秀歌の中の秀歌である」 と、人びとの愛誦あいしょう にのぼったが、作者の名は、 「びと 知らず」 になっていて、久しく、そのたれなるやもわからなかった。
忠度が遺した百余しゅ の中の一作だったのはいうまでもない。しかし、平家没落とともに、みな “勅勘ちょっかん ” の科人とがびと となり終わったので、世をはばかって、俊成がわざとその名を伏せておいたのである。
しかし、さらに時世も鎌倉に移って、俊成の子、藤原定家が 「新勅撰集」 を んだときには、公然、薩摩守忠度、と名もあらわに再録された。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
Next