〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-Z 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (九) ──
一 門 都 落 ち の 巻

2013/10/25 (金) びと ら ず (二)

俊成しゅんぜい は歌人である。
左京大夫さきょうのたいふ とか皇太后宮大夫こうたいごうぐうのたいふなどを歴任したが、和歌の道より外に、栄誉もかえりみない人だった。
子息の定家ていか と一緒に、早くからこの京極の家に、半隠者的はんいんじゃてき な生活を愛し、 われれば、たれかれなく、詠草えいそう なども見てやっている。── そして、若いころから六十代の今日まで、変わりなく文通している道の友には、かの西行法師などもあった。
その西行も、都へ帰れば、かならず俊成の門を訪ねた。── 近ごろは、高野こうや の蓮華院にいるらしく、つい数日前も、高野から便りがあったばかりである。
西行の便りには、
(── このごろ、人からうけたまわるに、院の御命ぎょめい をこうむって、いよいよ、千載集せんざいしゅう御編纂ごへんさん にかかられたとのこと。歌道のため、よろこびにたえません。けれど、朝に夕べが計られず、夕に明日も知れぬような世間の中では、撰集のお仕事も、おたいていではありますまい。それだけにお仕事の意義も、後の世にかけてまで大きなものといえますが、何しろ御重任です。切におからだをおいといくださいますように)
などとあって、いつものような自詠歌二、三首が、添えてあった。
後白河法皇が、 「千載和歌集」 のせん を命じられたのは、ことしの二月ごろであり、完成には、この先、幾年かかることか分からない。
当代の歌人、非歌人をとわず、およそ歌ごころのある者の秀歌を、つぶ りにえら び集めて、千載に遺そうという思し召しによるものである。老齢な俊成としては、もちろん、これを自己の歌人生活の、さいごの事業としていたろうし、また、歌ごころを持つ世の人びとは、たとえ一首でも、その中に選ばれる誉れを得たいとねが ったにちがいない。
歌には、興亡もなく、栄枯もない。いかなる勲爵も物質も、うたかたに過ぎなかった。ここ数十年のちまたはそれの実証であった。
人の白骨化さえ待たないほどそれは頼みにならないものである。しかし、一首の秀歌は、千載に遺ってゆく。心のにお いを伝えてゆこう。── これこそ輪廻りんね の外に立つ不朽の塔だ。── そうしたあこがれにちがいない。人の生命いのち も植物の本能に似て、何かの花粉を、その散り際には、自然、地上へこぼしてゆきたがるものだった。
「・・・・まこと、忠度殿ただのりどの でおわしたの」
俊成は、縁にすわって、庭を見た。
すすめられたが、忠度は 「先を急ぐ供奉ぐぶ の途中、かつは、甲冑かっちゅう の装いなれば」 と上らなかった。
ただ、露深い庭草のなかに、ひざまづいて、
「心ならずも、常には、お門辺かどべ へも、不沙汰ばかりしておりまして」
と、謙虚に詫びた。
「なんの、世上、ただならぬ風浪、よそながら、お察しは申しておる。わけて、和殿わどの は、亡き太政入道殿が、おん義弟おとと 。いや、おたいていではあるまい」
「されば、世間、しずかなる日は、つねづね、つたな き歌ぐさをたずさ えて、何かと、お教えをも賜りましたが、ここ両三箇年があいだは、国々の乱れに、都におる日も少なく、手は弓に奪われ、身はよろい にいましめられ、お便りすら、つい怠っておりました」
「して、にわかなお訪ねは」
「ついに、大事は一門のうえに及び、今暁、主上にてもすでに帝都をのがれさせ給い、遠く西国へ落ち行く事になりましたゆえ」
「や、や、では主上にも」
「思いまするに、われら平家のともがら が、ふたたび都へ帰って、昔日の栄えに会う日は、もうありませぬ。運命今日に尽きたるものと存じまする。それにつけ、はかなき夢を追うのではございませぬが、その後の、いくさ のひまや、草を枕の野辺にて、おりおりに、詠み出た歌を書きとめておいたのが、いつか、この一帖に百首あまりとなっております・・・・」
「・・・・・・・」
「おそらくは、師の御丹精がいもなく、いつまで、花らしき花もむすばぬつたな い歌ばかりでしょうが、自身では、常に明日の生命いのち も知れぬがままの、偽り亡き、虚心をもて、 み出たものに違いありませぬ。・・・・が今は、反古ほご さえ心の荷、川に捨てんか、火に焼かんかと、まどいながらも、いやせめて、いちどでも、師のおん目を通していただけたらと、欲をいだいて、これへ持ち参ったのでございました」
「・・・・・・」
「うわさには、千載集の御撰ぎょせん にかからせ給うとうけたまわっておりますが、武骨者の幼稚な歌などを、それにと望むのではございませぬ。かえって、昼夜なきおいそしみおり、心なき儀と、恐れ入るのでございますが、平家のともがら、一門二十年余の都を去るのぞんで、一首の歌だに、都にとどめた者もない、といわれるのも口惜しゅうてのことでございまする。・・・・あわれ、御門下の端に、かかる男もいけるよと、徒然つれづれ のお暇にと、お目通めどお し給われば、あとは、庭の落葉ととみにお焼き捨て給わろうとも、お恨みには存じませぬ。それをもって本望といたしまする」

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
Next