また、この小松殿の邸内には、斎藤
五ご 、斎藤六といい、兄は十九、弟は十七になる小侍こざむらい
が仕えていた。 この可憐かれん
な小侍の兄弟は、北陸で討死を遂げた斎藤別当実盛の子なのである。 この朝、疾と
く、小具足こぐそく つけて、おん主あるじ
が立つのを外で待ちうけていたが、維盛は、平門ひらもん
の際きわ に、影を見つけて、 「お汝こと
らは、連れ行かぬぞ。許しもせぬに、なんで、そんな所にいたか」 と、しかった。 兄弟は、口をそろえて、 「年来のおん主あるじ
が、落ち給うを見、なんで都に残りましょうか。いずくまでも、おん供の端に」 と、いっかな、肯き
かない顔つきで言った。 「いやいや、お汝こと
たちは、まだ、十か十二のころに、別当実盛より頼まれて、わしが子飼いに育てて来た者だ。・・・・その実盛すら、先ごろ北陸の戦いには、お汝こと
らを、ともに連れて給えとは、願わなかった。・・・・あわれ、武門のつらさを、実盛はよう知る者ぞ。── その子の、お汝こと
らを、こたびの供には連れて行けぬ」 「いえいえ、老父はどうありましょうとも、われら兄弟は、死も誓うてのことでおざりまする。何とぞ」 「ならぬ、ならぬ。それほど、儂み
に心をつくしてくれるなら、後に残って、北の御方や、六代ろくだい
の行く末を見とどけてくれい。維盛の供をして、死んでくれるよりは、ありがたいぞよ」 言い捨てて、彼はようやく、門を立った。── むかし燈籠とうろう
の大臣おとど といわれた父重盛以来の小松谷の仏舎造りの館をあとに、主上の輦輿れんよ
を追い慕った。 諸所の建物に、古巣焼きの火がかけられたとたんである。大路の松原で、宗盛と行き会った。 宗盛は、彼が、あれほど愛していた妻も子も連れていないのを見て、 「おおかたの人びとは、みな妻子を伴ともな
えるに、小松殿には、など六代君ろくだいぎみ
や北の方を、お連れあらぬか。さても、お気づよさよ」 と、眼を見張って言った。 もうその時には、維盛の胸は自分でなだめられていた。微笑をふくんで、彼はそれに答えた。 「しょせん、お互いの行く末は、頼もしいものとも思われませぬ。今日別れるも、明日別れるも、立つ秋とおなじものです。梢こずえ
により、木々により、散るを急ぐ葉、おくれる葉、さまざまなれど、いずれは秋の一ながめの間でしょう。── そう、存じたるによって」 |