〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-Z 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (九) ──
一 門 都 落 ち の 巻

2013/10/24 (木) これ もり みやこ ち (三)

老職とか、女童めのわらべ や女房たちは、にわかに立ち退 くことになったので、さっきから、屋の内は騒然としていたが、ほどなく、六代丸ろくだいまる や幼い姫も起こされて来て、また、父との別れにがんぜない泣きじゃくりを見せるのだった。
大人たちのしている悲嘆や大騒動が、いったい、何を意味するのか、もとより分かるはずもない。子らも女童めのわらべ もただならぬ大人たちの語気や顔色に悲しむのである。まわりが泣くので、小さい魂も悲泣し、小さい者たちの嗚咽おえつ に、北の方も、維盛も、断腸だんちょう の思いを強くするのであった。
煩悩ぼんのう だ。・・・・かくては、限りもないこと」
維盛は、よろい を取って着、おもて をあらためて、大股おおまた に、中門ちゅうもんろう へ出て行った。
そして、ともすれば、持ち支えきれない自分のもろさに意識しているかのように、わざと強く、大きく、
「馬を。・・・・馬をはやくひけよ」
と、どなった。
母の姿が、父の胸もとにとりすがったのを見て、幼い二人も、父の鎧につかまって、泣き暮れた。
この廊口が、永遠の別離になるかと思うと、宗盛の頬にも、こら えていたものが、いっさんに流れた。身を武門にうけた宿命を恨まずにいられなかった。
沓脱くつぬぎひさし に、こま が寄せられた。われながら、女々めめ しさよと、郎党たちの手前も恥かしく思って、維盛は、駒のそばへ降り立った。そしてすぐ馬上になると、さっきから、中門の外に待ちわびていた維盛の弟 ── 新三位しんざんみの 中将資盛、左中将清経、少将有盛、丹後侍従忠房、備中守びっちゅうのかみ 師盛もろもり の五兄弟が、庭門のあたりから、声々に、
「やあ、兄君には、何を暇取っておられたのですか。行幸の御輿みこし は、もうはるかだということですぞ。余りな遅参ちさん に、人もいかにせんやと、案じておりましょうに」
と、責めるように言った。
「おう、まこと、わが身ながら、けさばかりは、みぐるしい不覚」
維盛は、弟や両党へ、悪びれずに、そう言った。そして、いちど馬を乗り出したが、ふと立ち戻って、くら の上から弓手ゆんで を伸ばし、弓の先で、廊の縁際えんぎわ御簾みす を、ざっと、上へかき上げながら、
「── あれ、御覧ぜよ方々かたがた 。あのように、幼き者までが、余りに、慕い候うて、身のおろをば追うゆえに、つい、とこういいなだめて立たばやと、存じの外な遅参をいたした。あわれ、維盛が、ふた心にては候わず。ゆるし給えや」
と言った。そして、いまは見栄も捨てて、まいちど、妻子に顔を見せてやるつもりか、しげしげと、暁の下に、その面と姿を、じっとおいた。頬には、数行の涙が白く光っていた。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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