〜 〜 『 寅 の 読 書 室 Part U-Z 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (九) ──
一 門 都 落 ち の 巻
2013/10/24 (木)
維
(
これ
)
盛
(
もり
)
都
(
みやこ
)
落
(
お
)
ち (一)
侍大将、
越中次郎
(
えっちゅうのじろう
)
兵衛盛嗣
(
ひょうえもりつぐ
)
は、大太刀をわきばさみ、屈強な郎党どもを連れて、
「多年、恩顧をこうむりながら、身一つ、都に居残らんなどと、二心に惑う者は、主家のお心は知らず、
盛嗣
(
もりつぐ
)
が容赦はせぬ」
と、呼ばわりながら、
雑鬧
(
ざっとう
)
の道を、あちこち歩きまわっていた。
しかし、いかに
威嚇
(
いかく
)
しまわったところで、道も一つでないし、心も
空
(
そら
)
な人びとの大移動を、そう見きれるものでもなかった。いちどは、家を捨てて出たものの、ゆくての運命もそら
怖
(
おそ
)
ろしくなり、にわかに途中で身をかくしたり、わざと
落伍
(
らくご
)
して、都へ引っ返した者も多かったに違いない。
それも、雑兵、
下部
(
しもべ
)
の輩ならとにかく、摂政殿の
空車
(
からぐるま
)
が、路傍に捨ててあったのを見、次郎兵衛盛嗣は、大いに怪しみ、また怒って、
「
供奉
(
ぐぶ
)
の先にもあるべきお人が、主上の
輦輿
(
れんよ
)
をやりすごして、おのれまず、身をかき消すとは何事か。尋ね出して、押し止めよ」
と、あとを追いかけたが、ついに見つからず、
捉
(
とら
)
えることが出来なかった。
また、それより前に、たれ言うとなく、
「いかにせしか、小松殿が一族は、まだ、たれも供奉に立って行かぬぞ。
維盛卿
(
これもりきょう
)
にも、都を出で給うた様子はない」
と、疑惑の声がしきりだった。
富士川でも、北陸の大戦でも、つねに総大将として臨んでいた小松中将維盛が、このさい、見えぬとあっては、人の心が
尖
(
とが
)
ったのも無理ではない。
── が、維盛の場合は、引っ返したのでもなく、逃げ隠れしたわけでもない。
彼は、火が迫る直前まで、なお、小松谷の館にいたのである。
前夜の一門集議で、西国落ちと決まると、彼も小松谷へ急ぎ帰って、ただちに、あとの始末と、出立の支度にかかった。
そして、まずそのことを、最愛の妻に、かんでふくめるように
諭
(
さと
)
した。
「一門の人びとは、妻や子を連れて行くようだが、道々には、敵とも出会い、海には、波風が待つことだろう。なまじ、足手まといを
伴
(
ともな
)
い、お
許
(
もと
)
らには憂き目を見せ、この身も取り乱しなどして、世の物笑いになるよりは・・・・いまここで、別れた方が、よいと思う。もう、泣かないでくれい。泣くことも許されないで、こう強がりいうわしの心をわかって給われ」
北の方は、まだ二十六、七であった。父は、新大納言成親である。けれどその成親も母も、この世の人でなく、彼女は、みなし児といってよい。
ただ、彼女の幸福は、それにもまさるよい良人をもったことであった。平家第一の美男といわれた維盛に愛され、しかも、ことし十歳になる
六代
(
ろくだい
)
という若君と、八ツになる姫君まで産んでいる。
── まこと、君は十三、われは十五より、
見初
(
みそ
)
め奉つたれば、火の中、水の底へも、共に入り共に沈み、限りある別れ
路
(
ぢ
)
までも、おくれ先立たじとこそ思ひしが・・・・・。
と、人もこの別れを想像したほど、二人は、相思相愛の仲だった。維盛が十五、北の方が十三のときから恋仲であったという。
著:吉川 英治 発行所:株式会社講談社 ヨリ
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