摂政
藤原基通ふじわらもとみち の牛車は、七条大宮の端れを西へ、がらがら急いでいたが、車の簾す
の中でさえ、煙にむせた。 彼は、あでやかな夫人と、女子二人を、両のひざに抱き寄せていた。そして、 「死ぬも、ひとつぞ」 と、妻の耳へ、何度もささやいた。 夕べの夜半までも、彼は、今暁こんぎょう
の西国落ちなどを、夢にも、知っていなかった。 どやどやと、迎えに来た武者の一群に、いきなり 「主上に供奉し給うて、ただちに、西国へ赴おもむ
かれよ」 と言われたのである。無我夢中というほかはない。 しかし、主上を始め法皇にも御西下と聞かされたので、基通は、妻子のほか、二輌にりょう
の女車を従えただけで、車駕しゃが
のあとを慕うべく、門を捨てて来たのであったが、道々の混雑ぶりに、 「余りなるあわただしさよ。もしや、法皇には?」 と、ふと疑いを起こした。そのとき、ちょうど、月輪殿つきのわどの
(九条兼実) の住む山下を通ったので、 「よも、かの君は、平家とともに、落去はすまい。門をたたいて、直々じきじき
、仙洞せんとう (後白河)
の御動静を、しかと、確かめて参れ」 と、家臣の進藤しんどう
高直たかなお を、途中からそっと使いにやっておいた。 高直は使いを済まし、やがて、人波の間を縫って、先へ行く摂政殿の車をやっと見つけた。そして追いすがるやいなや、車の物見
(窓) を、外からハタハタと打ちたたいて、 「お忘れ物、見つけて参りました」 と、基通もとみち
のひざへ、小さく結んだ紙切れをさし落とした。 まぎれもない月輪殿つきのわどの
の筆である。その兼実は、彼には叔父にあたる間でもあり、また永いこと、平家の権威にも屈しないで、しかも、とにかく摂?せつろく
の家の格式を、もち支えて来たお人でもあった。 「・・・・あっ・・・・しもうた」 彼は、一読するなり、うろたえを、あらわにした。 兼実の文には、後白河が、夜半の頃に、どこともなく、御逐電ごちくでん
になったようだと、書いてある。 「── 客、家僕等モ、左様ニ、ミナ申スモ、御行方ハ未ダ知レ申サズ」 とも付け加えてあった。 「高直、高直」 こんどは、内から。基通もとみち
が、心せわしげに、たたいた。 「はい、はい、御用に儀は」 高直は、車と一緒に、小刻みに駈か
けながら、物見の下へ顔を寄せた。 「なんとしたものぞ。・・・・のう、高直」 「今のは、御覧ごろう
じなされましたか」 「見たゆえに」 「さらば、高直に、お委せください。ひと思案、いたしまする」 「思案をめぐらすか」 「御車みくるま
をめぐらしたいのでございましょう」 物見の小簾こすだれ
の中で、基通の眼が、きっと、思い入れを見せてうなずいた。 が、この摂政車とほかの女房車には、武者輩ばら
の眼が光っている。列の前後について、遅れがちさえ、やかましく言うのである。後ろへ、引っ返そうにも、車をめぐらす口実がない。 |