〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-Z 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (九) ──
一 門 都 落 ち の 巻

2013/10/23 (水) ふる き (二)

京中二十数箇所の屋根から、炎は、いちどに天を焦がしたが、六波羅、西八条の二聚落しゅうらく が、わけても巨大な火の海とんったのはいうまでもない。
西八条は、東寺とうじ の北から壬生みぶ 、八条坊門の南辺まで、一族の棟数むねかず 五十余軒といわれ、林泉りんせん の美、建築の粹を、日ごろは、競っていたものである。
またそこの、平相国清盛が、晩年よく起居していた “よもぎつぼ ” の第館だいかん も、どんなに華麗かれい 宏大こうだい殿楼でんろう づくりであったろうか。
かの、資盛の恋人であり、また建礼門院の側近くに仕えていた女性の右京大夫が、その歌集に、書いている一節にも、

── 春のころ、宮の西八条へ出でさせ給へりし程に、月あかき夜、あたら夜を、ただにや明かさむとて、権介ごんのすけ 朗詠ろうえい し笛を吹き、経正つねまさ 琵琶を弾き、御簾ぎょれん の内にも、琴かきあはせなどして、おもしろく遊びしほどに。

などと見え、おなじ月の座には、あるいは、清盛もい、二位ノ尼もいて、水入らずのまどいに、花の夜の花も静かな世間と人生の一齣ひとこま をいかに楽しんだことかとしの ばれる大屋ねもある。
それらの建物も、今はすべて、大紅蓮だいぐれん の裡だった。紫焔しえん白焔はくえん紅焔こうえん の怪しいばかり美しい火のため息が、黒煙の中に聞こえるだけである。
一方、六波羅の火は、ここ以上に地域が広い。
五条松原から七条にわたる二十余町のあいだ、一門臣族の第宅は、大小五千二百余軒もあったという。
六波羅建築群は、南のちょう 、北の御所、池殿、泉殿、法領寺とわかれ、小松殿は、山ふところに離れている。
わけても、泉殿が、いちばん古い。
清盛が、この地を開いた当時、本邸としていた薔薇園しょうびえん の亭である。
法領寺は、その園内にあった。
寺塔は、正盛、忠盛、清盛、三代の供養所だった。一門出奔の前夜、宗盛は、武者をやって、墳墓を掘り返し、遺髪やら遺物のすべてを、御堂のうちに積み重ねて、本尊仏や伽藍がらん とひとつに、焼き尽くしたということである。── 総領の彼として、そうした心くばりまでしたかも知ればい。
いずれにせよ、およそ平家人へいけびと のいたあとと有縁うえん の建物は、武者輩むしゃばら の小屋敷まで、一宇いちう も余さず焼きたてられた。
堀川、烏丸、粟田口、京白川の諸方にも、おなじ火がながめられた。公卿やら、武者やら、平家有縁うえんともがら が、離れ離れな所でも、おのおのその古巣を焼いているものにちがいない。
しかし、静かな、冷たくさえ思われるほど、実に静かな、火の海であった。
空には、一痕いっこん の残月。
そして、火のちまたには、人声もなかった。立ちさわ ぐ人影もない。
ただ静かに、低く、広く、燃え広がっているだけである。── 燃えるがまま、狂うがまま、火をして、灯のなすままにまか せてあるすがた だった。万宝の都も、焼ける枯野と違わなかった。
火が風を呼び、その黒煙くろけむり は、落ち行く人びとを追いかけるように、洛外にまで煙って来た。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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