京中二十数箇所の屋根から、炎は、いちどに天を焦がしたが、六波羅、西八条の二聚落
が、わけても巨大な火の海とんったのはいうまでもない。 西八条は、東寺とうじ
の北から壬生みぶ 、八条坊門の南辺まで、一族の棟数むねかず
五十余軒といわれ、林泉りんせん
の美、建築の粹を、日ごろは、競っていたものである。 またそこの、平相国清盛が、晩年よく起居していた “蓬よもぎ
の壺つぼ ” の第館だいかん
も、どんなに華麗かれい 宏大こうだい
な殿楼でんろう づくりであったろうか。 かの、資盛の恋人であり、また建礼門院の側近くに仕えていた女性の右京大夫が、その歌集に、書いている一節にも、 |