〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-Z 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (九) ──
一 門 都 落 ち の 巻

2013/10/23 (水) しゆ じよう みやこ ち (二)

退去には、秩序を持って。
道々も、乱れなく、落ち行く身せよ、醜い姿を、路傍の人の目にさらさぬように。
それは退去に先立って、一門の中での最年長者、修理大夫 しゅりのたいふ 経盛つねもり が、くれぐれ、全軍の武将や公達ばらに、言いわたしたことだった。
けれど、初めのうちこそは、である。
いざ、去るとなると、出陣のそれとはまるで士気が違う。いつか人馬は先を争い合って、五条の橋辻はしつじ 、七条の目路めじ など、いたる所で、ごった返し、今にも敵の木曾勢が後ろに迫るかのような心理を描き出した。
ここばかりではない。
西八条を中心とする平家聚落しゅうらく もまた同様であった。
二位ノ尼は、早くから今日を覚悟していたらしく、
門脇殿かどわきどの (教盛) のお迎えがあるまでは」
と、持仏堂にこもって、亡き良人、清盛の位牌いはい に向かって念珠ねんず の両手を合わせ、香の薫りに、身を染めていた。
やがて、教盛のりもり知盛とももり などの迎えが来ると、網代輿あじろごし に身をまかせ、主上のおあとを慕って急いだ。
前後して、八条梅小路からは、いけの 大納言頼盛も、一族の仲盛、光盛そのほかを引き連れ、落ち行くうしお のうちへ没して行った。
また、少し遅れてきた重衡朝臣しげひらあそん は、
「母の尼公は、はやお立ちあそばせしか」
と、そこの空しき門を見ただけで、すぐ、二位ノ尼を、追いかけた。
重衡は、戦のあるたびに、よく選ばれて、征野に立った。けれど、心は優しく、清盛と二位ノ尼との間に した子たちのうちでは、たれよりも、母思いな一面もあった。
当年、二十九歳。公達育ちなので、まだどこやらに、白面の青年じみた風はあるが、木曾が、近江に入ると聞くと、真っ先に、手勢を率いて、撃って出たり、一族間の宥和ゆうわ に心をつかったり、どこか、にお わしい気だてを持っている。
そのため、都落ちのこの朝も、近江から帰陣したままのやぶよろい に、疲れた身をくるんでいた。
そのほか、あの家、この門、あちこちの目路めじ 目路めじ から、前後して落ち行く人びとは数も知れなかった。いずれも、一個の悲劇の主人公でない者はない。その混雑は、六波羅附近にも劣らないほどであり、人馬の大群はうしお をなして、朱雀から羅生門へと押し流れて行く。
ようやく、東天の雲は、くれない に燃え出した。朝霧のひく中に、洛中の屋根、洛外の山々も、見えはじめている。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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