〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-Z 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (九) ──
一 門 都 落 ち の 巻

2013/10/21 (月) しゆ じよう みやこ ち (一)

六波羅の大路おおじ 小路こうじ 、あなたこなたの目路めじ 目路めじ には、その夜明け前、幾万の男女や老幼の涙がしぼられていたことか。
暗いうちに、軒ごとの家族らは、別れを惜しみあい、すべて、家を去らねばならなかった。
戦いうる者は、軍勢について、西国へ落ちて行く。戦う力のない老幼や女たちは、いずこえなと、寄る を求めて、立ち退 けという布令である。
悲泣ひきゅう哀号あいごう の声は、未明の闇をなお暗くし、墨のような朝は、なかなか明けようともしない。
「やあ、すこし道を開け、道を ── 。余りに立ち乱れるな。主上のおわたりぞ。行幸みゆき なるぞ。馬の群を、たたずますな。そこらの馬を、どこかへ片寄せい」
かなたからこま を飛ばして来て、こう軍勢の上へどなって通ったのは、右近衛中将うこんのえちゅうじょう資盛だった。
道に立ち、門をふさ ぎ、辻々にあふれ返って、たふぁ揉みゆれていた兵馬の海は、ようやく、路面の見える程度に端へ寄った。
やがてまた、権中納言ごんちゅうなごん 知盛とももり が 「しっ、しっ」 と、道の露を払って先駆さきが けて行く。── ほどなく、主上の御乗物が、星の下に見えた。御車ではなく、御輿みこし であった。
輿こし には、おん母建礼門院が、ひとつに、乗っておられた。幼帝には、この出でましを、どんなお気持で、おん母のひざに抱かれておいでだろうか。
にわかに、お眠い中をゆり起こされて、さだめし、だだをこね、おむずかりもして阿波あわつぼねそつつぼね の手をやかせたことであろう。それもおん母の、せきあぐる涙をしげくしたことにちがいない。
けれど、御輿が、星の下に出ると、すっかり、お眼がさめた御容子である。兵馬の大群も、おめずらしげであり、乗らせ給う御輿を く八人の雑色ぞうしき 、紅白の縒綱よりづな をひく御綱佐みつなのすけ たちの、弓矢、よろい姿ななどに、喜々として、何か、おん母へ、 れかけていらっしゃる。
ひとまず、御輿は、六波羅泉殿に内へはいった。あわただしい御朝食の供御くご があった。またそのまに、平大納言時忠が、子息や大勢の家臣を連れて、この場へ、遅く駆けつけて来た。
彼は、主上の仮の宮居みやい から、神璽しんじ宝剣ほうけん八霊御鏡やたのみかがみ 、朝廷の正印、鍵、時のふだ玄象げんじょう鈴鹿すずか御琵琶おんびわ など、およそ、皇室にとっての重代の宝物塁を、取り出す役目に当っていたのである。
けれど、何ぶん、火に負われるようなあわただしさであったので、神庫の口で、取りこぼしたり、持ち忘れた品々も少なくはない。
たとえば、つねに清涼殿せいりょうでん に置かれる “御座ぎょざ御剣ぎょけん ” なども、このおり、どこかへ失っていたという。
が、ともあれ、三種の神器、そのほかは、唐櫃からびつ は、甲冑かっちゅう 弓箭きゅうせん の荒武者どもにこれを守らせ、二人の子息、内蔵頭くらのかみ 信基のぶもと讃岐さぬきの 中将時実、そして時忠自身も、衣冠を着して、その列の加わった。ほどなく主上の御輿みこし は、泉殿をお立ちになり、神器を捧持ほうじ する一群も、しのおん後から続いて行く。── 六波羅大路から西へ、朱雀を南へ ── 行幸みゆき とはいえ、果てない亡命の御旅路に従って行くのであった。
主上の御先発を見とどけた後、一門のたれかれやら眷族郎党けんぞくろうとう など、以下続々と、ひきもきらず、六波羅を立ち退きはじめた。
時に、上刻 じょうこく (午前五時) ごろ。
まだ道はうす暗い。中天には、銀河 あまのがわ のあとが、夢のようにほの白く仰がれる。この朝を境に、秋も、どっと駈け降りて来た。風は冷たく、路傍の虫たちも草むらに声をのんで、露ばかりが、都じゅうの涙のように光っていた。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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