更
けてゆく。── 眠ろうとする。なおさら冴さ
えてしまう。 遠い海鳴りのような世音せおん
が絶えず聞こえる気がする。この深殿に、何も聞こえて来るはずはない、しかし彼女には、それが聞こえる。 昼間、摂政せっしょう
基通もとみち が、いろいろ、そら怖おそ
ろしいことを告げて帰った。朝廷も、平氏一門も、また都のすがたまでもが、あすも知れない話であった。明日を怯おび
えれば、果てしがない。ともかく眠ることだと思う。が、ウトウトとしては、すぐ醒めた。 「・・・・たれであろう?」 細殿の通かよ
いを、人の歩いて来る気配がした。すぐまた元の静けさになったと思うと、やがて隅すみ
の柱で鈴が鳴った。 彼女は、みかどがお目を醒まさぬように、こまやかな気をくばりながら、雪の中から脱け出るように、白絹の夜具よのもの
をそっと出た。そして、唐衣からぎぬ
をかさね、帳ちょう を排して、御座ぎょざ
のわきの間へすわると、そこに、手をつかえていた宿直とのい
の阿波あわ ノ局つぼね
が、 「せっかく、よくおやすみの最中もなか
でございましたろうに」 と、いたいたしげに、女院のお姿を仰いで言う。 「内府ないふ
様おみずから、お渡りあそばして、あちらにお控えなされておいでですが」 「え、宗盛どのが」 ただ事ではあるまい。そのことだけで何やら胸は立ち騒いだ。彼女は、すぐ帳にかくれて、粧よそお
いをあらため、 「すぐ、お目にかかりましょう。そなたは、帥そつ
ノ局つぼね と二人して、その間、みかどのおん枕べを、お守り申し上げてください」 「お心おきのう」 「たのうだぞよ」 建礼門院は、やがて、兄の宗盛が待っている一つの室に姿を見せた。 「この深夜に、何事のおわたりでございまするか」 「・・・・おお、女院」 宗盛は、面おもて
を上げた。片ひざに扇をついて、うつ向きこんでいたのである。 日ごろ、口ぐせに 「肥こ
えて困る、肥えすぎて、弱りおる」 と言っていたその体つきも、丸こい頬も、めっきり、肉を削そ
ぎとられ、着馴れぬ大鎧おおよろい
の重さにも挫ひし がれている態だったが、 「驚かれなよ、女院。驚かぬようにの」 と、何度も念を押してから口をひらいた。 「おん許にも、およそは察しおられたであろうが、いよいよ、住み馴れた都を捨て、一門西国へ落ちゆかんと、こよいの評議で決まった。──
女院や二位殿などは、都に残しておくとて、よも、敵たりと、酷むご
い目にはあわせまい、という者もあったが、万が一にも、もし、まのあたりに女院や二位殿が、憂き目の恥を見せられたら、あとでいかに口惜しがるとも及ぶまい。・・・・それゆえ、事にわかながら、おん許をも、二位殿をも、お連れ申す事になった」 「そうですか、さまざまに、人は言いますが、なお、よもやとは思うておりましたのに・・・・」 女院は、しゅくと、黛まゆ
を泣きひそめ、 「── わたくしたちの身は、いかにあろうと、其許そこもと
のおはからいに頼むしかありませぬ、ただ、みかどには、まだおいとけないことゆえ、それのみが」 「主上、法皇も、あわせて平家が内に守り奉り、いずこの地など、仮宮かりみや
を設しつら えまいらせて、一門、時節を待とうの所存。まあ、余りにお案じすぎぬように」
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