〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-Z 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (九) ──
く り か ら の 巻

2013/10/19 (土) か れ の くに づく り (三)

柳ノ水界隈かいわい の貧民が、ともあれ、この麦秋には麦を りいれ、青い物を作り、芋の葉もいちめん大きく茂らせている。
それは、早くにもう洛中の、他の貧民たちにも眼をみはらせ、諸所方々で、おなじ畑作りが流行はや った。
いち は、西の京、東の京も、物資の杜絶とぜつ と物盗りの横行で、どこもたな (店) を閉めてしまった。で、町人まちびと たちの中でも、南瓜かぼちゃ 作りや芋作りをしていない家はない。公卿やかた の庭でさえ、花?かき を抜き捨て、泉石をこぼ ち、畑にしているというほどである。
だが、公卿雑色ぞうしき はとにかく、貧民たちは、もともと、尺地も持っているわけではない。畑作りも、もちろん、ひとの土地だった。それも焼け野原などは看過みすご されたが、廃宮の庭園だの、寺社の領などまで犯されだしたので、検非違使けびいし がやかましく言い出した。みすみす出来た作物を、庁の下役人げやくにん に没収され、首をくくった一家さえある。
麻鳥にもとがめが来た。 「貧民をけしかけて、他家の土地に、畑作りをやらせた発頭人は、そちだという世間の聞こえだが」 と、いう罪である。
そのため、彼は、投獄されかかった。
ところが、わざわ いが幸いになって、それが大理卿だいりきょう の平大納言時忠の耳にはいった。 「麻鳥と申すは、かつて、入道禅門の御臨終にさいし、おん脈をとった町医ではないか」 と、思い出されたのである。その結果、時忠は直々じきじき に、麻鳥のこころざしを聞き、多いに感じて、
「罪どころか、よいところへ気がついた。人、多くは食えぬが故に悪へも走り凶暴にもなる。以後、洛中のむなしき雑草の土地は、窮民どもの耕すにまかせ、耕す物を奪う者は、重罪に処すであろう」
と、善政を示してくれた。
麻鳥は、雀躍こおど りした。それからは、おおやけ にできた。医業も二の次にして、扶け合いの国造くにづく りに打ち込んでいた。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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