「・・・・ああ、都大路に、飢え死ぬ群を見、御所の御苑
に、蕎麦そば の花を見ようとは」 その三条高倉にほど近い柳ノ水のそばに住む阿部麻鳥あべのあさとり
は、いくたび、こうした嘆声をひとりもたしたことだろうか。 ここの崇徳すとく
上皇じょうこう の御所跡が、貧民部落と変わり果てたことを、世にあるまじき転変と思っていたが、以後の激変は、それどころではない。 わけて、入道清盛が他界して、平家の瓦解がかい
が一朝にきざし初めてからは、都下の民は、一日とて、安き思いもなかった。権力、栄爵、戦争、そのどれにも、まったくかかわりのない無辜むこ
の民に、どうして、災害ばかりが公平に分配されるのか。 おまけに、ここ打ち続く、三年の飢饉だ。 「戦いくさ
の火の粉なら、逃げかわしも出来るが、天の災厄さいやく
ばかりは、逃げもできぬ」 麻鳥は、じっとしていられない気持にかられた。 医を仁術とし、医の生涯を、本望と思っていたが、今日の場合は、もう、医術ではまにあわない。 ここ両三年にわたる餓死者は、かの仁和寺にんなじ
の隆暁法師が数えただけでも、四万二千余人におよぶという。 そこで彼は、まず、界隈かいわい
の貧者たちに呼びかけた。 (これは、たいへんだよ。このまま、ひとの田作りや、市の物をあてにしていたら、わしらにも、やがて、餓死の番がまわって来るだろう。世間の人草は、おおかた、枯れ果ててしまうにちがいない) ──
が、こう言っただけでは、なお、どうにか生きている者は信じないのだ。事前に、必死な生き方を取ろうとしないのが懶惰らんだ
に慣な れたこの界隈かいわい
の人びとだった。不可抗力とあきらめ、運命の下に、あまんじて挫ひし
がれている性根には、なかなか、応こた
えがないのである。 そうした物臭い顔つきの簾中へ、彼は噛か
んで含めるようにいう。 ── 都の衣食は、日ごろ、田舎に支えられている。その田舎さえ、近年、食うや食わずなのだ。朝廷や権家の貢税みつぎ
さえ、さっぱり上って来ないのを見てもわかる。 都人の口が、乾ひ
あがるのは、あたりまえだろう。われら下積みの貧乏人はなおさらといおうしかない。しかし、いくら凶年だからといって、知恵を持ち、手足もある人間が、むざむざ、餓死を待っていてよいものか。空ばかり気に病んだり、祈祷きとう
ばかりしているのは、余りにも愚ではないか ── と。 「都の中に、田舎を作ろう」 麻鳥は、呼びかけた。 都も、土の上に出来ている。都に土がないわけじゃない。 この土の上に、人間を生しょう
ぜしめたのが、宇宙天然の作用なら、その宇宙が、働く人間を、むなしく乾干ひぼ
しにするはずはない。生かす作用を持たない土や太陽であるわけはない。 「皆の衆、わしはそう思う。わしは、飢え死にしとうない。妻や子らを殺したくない。政まつり
の府はあっても政事まつりごと
の扶たす けは恃たの
めぬ。天も人も恃みとなるもののない世の中だ。恃むは、自分だけと思わっしゃい」 興おこ
りは、それからのことである。 麻鳥夫妻を見習って、麻鳥を中心に、埴生はにゅう
の小屋仲間が、気をそろえて、土を耕し始めたのだった。病人、不具者をのぞいては、老いも若きも、子どもらまでも、やり出した。平家の存亡、源氏の進出、けわしい雲の下にである。 |