〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-Z 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (九) ──
く り か ら の 巻

2013/10/19 (土) か れ の くに づく り (一)

都の七月は、山城盆地特有な暑熱の底にかすんでしまう。前月の末ごろから雨もなく、加茂の川床かわどこく は干上がっていた。町屋根は、どこの板葺いたぶき檜皮葺ひわだぶき も、とび が逆毛をたてたように りかえっている。
「ひでりに凶作なしというが、今年は、ひでり飢饉ききん じゃわ、たい な年もあるものじゃ」
「それが、五月ごろには、降りも降ったわ。一年分の雨を降り尽くしたとみゆる」
「何せい、天道さまも、どうかしたげな。去年、おととし、満足に五穀がみの った年はない。豊葦原瑞穂とよあしはらのみずほの国に、毎日、行きだおれが、数も知れぬとは」
「これも、時の政事まつりごと と、上に立つ者の非道のせいだ。世のたてまえが直らぬうちは、天道さまのお怒りはやむまい」
「そうだ、平家がどうかならぬうちは」
「平家だけが悪いとはいえまいぞ。公卿堂上も、火放ひつ け強盗をやらしているやみの人間も」
「なアに、たれが悪い、かれがよいと、ひと口には言えるものか。世は、乱脈だ。悪いといやあ、人間がみんな悪い」
「いやいや、人をそし るな、天を恨むなと、麻鳥あさとり さまは、おらたちの顔を見るたびにいわっしゃる。── こんなときには、一心、気をそろえて、手足の満足な者は働き、弱い者は扶け、とかく、扶け合いで、よい日を待つほか、生き方はない。人と人とが信じあわぬ限り、世は地獄になろうと、麻鳥さまは、いつもいうがの」
ひと休み、農具をおいて、土に腰をおろしあった貧しい男女の群が、素朴な思いを、高声で話していた。
三条辺の一角である。
内外うちそと もない崩れ築土ついじ の名残を見ても、むかしは女院の御車みくるま や、大臣おとどくつ が、出入りしたことであろうものと、しの ばれる。
茫々ぼうぼう と荒れたその跡が、あちこち、耕され出していた。
ここばかりではない。
都の中に、目立って、ことしは、田や畑ができた。
かつての、大火の焼け跡やら、福原ふくはら 遷都せんと のさいに えた空地とか、また、一朝にして亡んだ大邸宅の廃園などが、洛中、三分に一ほどは、数年、雑草の うるまにまかされていたものである。── それが近ごろ、土をかえされ始めたのだ。あわひえ や芋畑などに、変わって来たのが諸所に見られる。
たとえば、源三位頼政らとともに、御謀叛をあげられ、以後、おあるじ なきままになっていた以仁王もちひとおう の三条高倉の御所の庭などにも、麦の刈られたあとが見え、今では、蕎麦そば の花が白々と咲いていた。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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