〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-Z 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (九) ──
く り か ら の 巻

2013/10/18 (金) さね もり さい (三)

砂丘の上をこえ、下をこえ、誇り気な甲冑かっちゅう の歩騎の影が、わらわらと、先を争って通って行く。
実盛のいる一丘いっきゅう の上にも、やがて、躍り上がって来た木曾の一群がある。
「やっ、敵よな。そこなる人影は」
一人は、実盛の影を見つけ、ぐるりと、馬をまわして、 しかけて来た。
実盛は、わざと、敵のくら わきへ、ぴたりと飛びついて、振り下ろしてくる相手の長柄を、つかみ取った。
その勢いで馬上の者は、もんどり打って、鞍から落ちた。しかし、柔軟な体躯たいく の持主は、苦もなく ね起きて、実盛へ組みついて来る。実盛は胸元に、敵のかぶと のしころをつかみ寄せて、ちっとも、動かせなかった。
「むっ。う、うぬっ」
「やわか」
た、た、た、と踏みこたえながら、実盛は言った。
「名乗れ。木曾殿の内の、なんと申す者ぞ」
「越中の住人、入善にゅうぜんの 小太郎行重」
「うら若さよ、年は」
「生年十八歳」
「あな無残。白面の若者の如きは、それがしの待つ相手ではない。とくと去れや」
突きたおして、砂丘のくぼ へ駆け降りた。
「やあ、逃げるのか、卑怯者。人に名乗らせて、名乗りもせず、うしろを見する法やある」
背後から行重が、なお、追って来るらしい声のほかに、実盛の走った前には、もっと巨大な相手が現れていた。黒革くろかわよろい にくるまれたその大武者は、
「ござんなれ、よい敵」
と、駒をとどめて、かっと、実盛を見、
「あな、やさしき武者かな。ただ一人、返し合わせて戦い給うか。平家が内にても、さだめし、名あるお人にて候わん。名乗られよ。名乗りたまえ」
と、言った。
実盛は、眸を、反射して、
「さいう和殿わどの は、たれぞ」
「信濃の住人、手塚太郎てづかのたろう 光盛みつもり なり」
「うむ」
と、実盛は、体じゅうでうなずいた。
「さては望むところの敵に うたり。いで組もう、馬を下りよ、手塚」
「おうっ、望みにまかすが、名乗り合わぬことやある」
「いやいや、存ずる旨あって、名は名乗りまいぞ ── いざ寄れ、組もうぞ。組んで、見事、討ってみよ」
言いも終わらぬ間に、うしろへ駆け寄って来たさきの入善行重が、刀を振りかぶって斬りつけた。
太刀の閃光せんこう は、よろいの金具に、 ねすべって火を発した。行重は、わが勢いで身を浮かせ、実盛の前に、危うい姿をさらしかけた。
とたんに、手塚太郎は、馬を捨てて、実盛の正面から、でんと、組みついて行った。そして、もろ倒れになって、砂を 上げたと思うと、もうその手には、実盛の首を っ切って持っていた。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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