けれど、いっこう、それについての返辞はしないので、俣野五郎景久は、ぐっと、彼の耳のそばへ、体を寄せて、なお説いた。 「御老体、実盛どの」 「ウ?」 「むかし、あなたは、武蔵国長井ノ庄を領しておられた。・・・・そのころ、くわしく申せば久寿二年、武蔵大蔵
で、合戦があった。鎌倉の義朝殿が、義平殿をやって、叔父の先生せんじょう
義賢よそかた 殿どの
を不意討ちさせたのだ。── そして、義賢殿よしたかどの
の遺のこ した孤児みなしご
こそ、今日の、木曾冠者義仲殿ではあるまいか」 「うむ、うむ・・・・」 「当時、木曾冠者は、たしか、なだ二歳の乳呑ちの
み児ご 」 「・・・・・・」 「鎌倉の追捕ついぶ
のきびしさにつけ、なんとか、助けとらせたいものよと、その母と子を、匿かく
もうたのが、畠山重能どのであったと聞く。・・・・だが、母子の身もまた危うくなったので、重能殿は、人に託して、その幼児おさなご
の養育を、木曾の中原兼遠殿へ頼んだ。・・・・兼遠殿を、男と見込んで、頼んだっわけじゃ」 「そうかのう」 「はて、御辺は、人ごとのように仰せられるが、そのさい、後の木曾冠者、まだ二つのみどり児を手に預って、はるばる木曾まで参った者は、畠山殿自身ではなかったはずだ。・・・・武蔵国長井ノ庄の住人斎藤実盛どのではなかったか」 「はははは、古いことよの」 「いかに、以前の古事ふるごと
でも、お忘れのはずはない。いや、老台がお忘れあろうとも、義仲どのが、これを忘れてよいものぞ。── なぜあなたは、木曾殿の許へ、われは長井の斎藤実盛なれ、と頼って行かれないのか」 「・・・・・・」 「平家への義理立てなれば、さきにも申した通り無用でおざる。何条、汚きたな
しなどと人も笑いましょうや。・・・・むしろ、あなたが木曾殿に引き取られて、余生の安穏をお見送りできるならば、われらは、うれしゅうおざる。真実、よろこびと申すもの」 「・・・・ああ、実盛も老いたそうな」 彼は、ぼろぼろと、涙をたれて言った。 「昔、ただ良心に命じられてしたことを、今日の売り物にするほど、実盛はまだ落ちぶれてはおらぬ者と自惚うぬぼ
れていたが、いまのおのおののおすすめにあずかって、初めて、身の耄碌もうろく
を知り申した。・・・・さはいえ、すでに都を立つ前に、仕えまつる右府殿 (宗盛) へも、それとなくお暇乞いを告げ、赤地錦あかじにしき
の直垂ひたたれ などを賜って、今生こんじょう
、思いのこすこともなく身仕舞い申したうえ、 出で立って参ったれば、さような配慮は、さらさらお心を煩あずら
わし給わぬように」 そう、物静かにに言ってから、また、 「いや、洟水はなみず
などをお見せ申して、われながら、笑止なことでござる。何を申すも、人間、老いては、寝るか、死を待つしかおざらぬものよ。可惜あたら
、今宵の酒盛を、味のういたしたも、老いのせいじゃ、ゆるされい、ゆるされい」 と、ふたたび、触れたくもない容子ようす
だった。 しかし、実盛が詫わ
びるほどなこともない。自然、酒飲みたちは、酒盛を楽しまずにはいないものだ。やがて夜も更けて、おのおのは別れ別れに帰って行った。 |