「斉藤の別当。おらるるか」 陣幕
を訪れた四、五名の武者は、内をさしのぞいて、声をかけた。 ものうげに、内では、実盛さねもり
の答いら えがした。 「まだ日も暮れぬに、はや出向くのか。若い者は気が早いの」 外の面々は、苦笑しあった。そして、実盛が幕を揚げて身を現すのを、待っていた。 伊藤九郎、俣野またの
五郎景久、真下四郎ましもしろう
重氏しげうじ 、悪七兵衛景清、宇都宮左衛門朝綱など。 いわゆる刎頚ふんけい
の友輩ともばら である。 戦は負けつづけ、士気は上がらない。 そてに先ごろからの滞陣だ、陣にも倦う
む、士気も腐る。そこで 「ひとつ、やろうじゃないか」 とという約束がこの仲間で出来た。 何かといえば、 “巡酒じゅんしゅ
の会” である。つまり、陣務のあいだに、かわるがわる、自己の幕舎へ友を招いて、酒盛りしあうことだった。 こよいは、浮巣うきすの
三郎重親が、皆を呼ぶ番に当っている。おりから木曾の動きもないようだし、打ち連れて、早めに誘いに来たのである。── 身支度でもしていたのか、実盛は、やっとのことで、 「いや、お待たせした」 と、その赭あか
ら顔に、麻の如き髪をもじゃもじゃさせ、まろい背中を、幕の蔭から一同の前に見せた。 「何をしておさったの」 歩み出しながら、ひとりが訊き
くと、 「寝ておざったわい。戦のない日は、眠るときめた、この悦楽。いや、分かるまいな。おのおのは、まだ若い」 その晩、浮巣三郎の陣所でも、人びとが酒盛に興じているのに、実盛は、ともすると、居眠っていた。
若い面々は、ひざをつきあって 「この老台の耄碌もうろく
も、いよいよ本物らしいぞ」 と、おかしくも思い、あわれとも見るのであった。 そして、おりおりには 「別当どの、斎藤の別当」 と、呼び醒さ
まして、杯を持たせると、実盛はそのたび、押し戴いただ
くような格好をして、あたりとは、無関係に、 「酒はよいもの」 と、言ったりしながら、抜け歯だらけな口のうちで、赤い舌を鳴らすのだった。 口かずは少ないが、こういう座にも、陣中にも、実盛は、なくてはならない人物のように、この仲間には、慕われていた。近ごろ、耳が遠いらしく、ときどき、へんな勘違いはするが、そのつど笑うのも、嘲笑ちょうしょう
ではない。自然な親しみからわく温かい笑いなのである。 「別当どの。いつもの、今様いまよう
はいかがです。今宵は、あの得意な謡うた
は出ませぬかな」 いまも、亭主の浮巣三郎が、あいそを持ちかけると、実盛は顔を振って、 「出ぬのう。こう負け戦では、謡もうたえぬよ。出るは、咳声せき
ばかり」 と、自分の老いをあざ笑った。 すると、俣野五郎景久が、 「この座ざ
におる者は、あらかた東国の人間でおざる。平家の傾きを見ては、平家を去り、源氏の興おご
るを見ては、源氏へ走る。といった器用な真似は出来ぬ人間どもばかりでおざる。されば、このたびは一定いちじょう
、平家のために、命は捨つるものと、覚悟を定め申しておるが、実盛殿は、それのも及ぶまいに」 と、まじめに言った。 宇都宮朝綱や武藤三郎有国なども、 「いかにも」
と、うなずき合って ── 「われらも、その儀は、おすすめしたい。実盛どののお心は、もはやたれにも分かっておる。これまで平家にお尽くしあれば、もう善意はとどいたと申すもの。いま、あなたが木曾へ身を寄せたところで、たれも、斎藤の別当を、恩知らずよ、卑怯者ひきょうもの
などとは、申すはずもない」 半分は聞こえ、半分は聞こえぬような、実盛の顔つきである。聞こえたようなふしぶしでは、いかにも好々爺こうこうや
らしい目皺めじわ を作って、実盛は、神妙にうなずいていた。 |