〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-Z 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (九) ──
く り か ら の 巻

2013/10/12 (土)    ぎゅう (三)

そのころ、義仲はなお、ふもとの埴生はにゅう の本陣に、じっとしていた。
が、心の波騒は、おおうべくもない。眼光、眉の動きにも、それが見え、木蔭こかげ床几しょうぎ から、こずえの木もれ を仰いでは、
「もう、何刻なんどき か」
と幾度も、左右の者にたずねた。
夜にはいるを待つ。それが彼の胸三寸であった。寡兵をもって大軍を破るには、それ以外にない。陽の落ちるのが今日ほど待ち遠しい日もないと思う。
「・・・・・・・」
じっと、腕を組む。
胸のいら立ちを意識し、これではと、みずから落ち着こうと努めている風なのだ。
「・・・・そうだ」
彼は、くわっと、眼をみひらいた。── 瞑目めいもく のあいだに、葵と山吹の顔をふと描いたのである。ゆうべの六動寺の宵やみが頭にあった。それから、彼の連想は、陣中の牛騒動へ移って行った。火に驚いた暴れ牛が、彼の頭の中を駆けた。
「そうだ、幼少のころ読んだとう の軍書に、火牛かぎゅうけい というのがあった。── 春秋の戦国時代、斉国さい の将軍田単でんたん が、えん の外軍の侵入に対して施したあの奇計・・・・」
ぬっと、義仲は、つかれたように立ち上がって、
幸広ゆきひろ 、あるか」
と、陣幕とばり の蔭へどなった。
「は、これに」
「いたか ──」 と、幕のすそを見、またきっと、反対の人だまりをながめて、その中の小諸こもろ 太郎忠兼へ、
「忠兼も、参れ」
ろ誘って、別な幕囲いの内へ隠れた。
そこで義仲から、どんな密命を受けたか、海野、小諸の二将は、まもなく、あわただしげに、部下を連れて、ここを出て行った。
入れ違いである、山上の伝令が駆け下りて来て、
「敵の一陣と、お味方の先頭とは、塔ノ橋をはさんで、はや、矢うなりが交わされておりまする」
と、知らせた。
「始まったか。いざ、行こう」
日没を待ちきれぬもののように、義仲は、うしろの諸将をみて言った。
── といっても、なお、前進はひそと行われた。馬上、義仲はあちこちの気色など見ている風であった。ころは五月、初夏のみどりはしたた るようだった。行く先々に、沼や池があり、その水は、倶梨伽羅の谷々から来て小矢部川へ落ちて行くらしい。白鷺しらさぎ の群が、何度も、吹雪のように、水辺の緑をかすめた。
「あれに見ゆるは、なんの御社みやしろ ぞ。かなたの、あけ の鳥居は」
義仲の指さす所へ、人びとも眼をやった。
越中の住人、池田忠康が、すぐ、
「されば、埴生はにゅう の八幡とは、あの宮にて、ここも八幡の御領ごりょう に候う」
と、答えた。
「なに、八幡の宮とな」
と、義仲は、喜色をたたえて、うしろに続いて来る祐筆ゆうひつ の大夫坊覚明を呼びたて、
一期いちご の道すがら、八幡宮の玉垣たまがき に行きあうとは、源氏の吉瑞きちずい ではあるまいか。戦勝の祈りを め、願文がんもん をささげんと思うが、うかに」
「至極、しかるびょう存じまする」
「あれにて、即座に願書をたしなめよ」
かしこま って候う」
覚明は、先に駈けて、玉垣の外に、こま をつないだ。
社前に腰うちかけ、えびら の下のふくろ を解いて、小硯こすずり畳紙たとう を取り出した。ここで彼が即座にしっためた文章は、後に当時の名文として有名になった。漢文幾十行にわたる、いわゆる 「木曾願書」 である。それが一気呵成いっきかせい に、書かれ終わると、義仲は、
「── 読め」
と、筆者の覚明に命じた。
義仲以下の将士は、すべて八幡の宝前にぬかずいた。願書の名文は、音吐朗々おんとろうろう と、声高こわだか に読まれてゆく。
聴くのは、拝殿のみあかしではなく、人である、人の魂である。
そのとき、三羽の山鳩やまばと が白旗の上を舞いめぐって、羽ばたき高く飛び去った。神の照覧であり、八幡の霊顕であると、義仲初め、将士は歓呼したという。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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