〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-Z 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (九) ──
く り か ら の 巻

2013/10/10 (木)  めい (二)

木曾三十八将とよばれる面々眼が、らんとして、義仲の顔ひとつへ集まった。巴や葵の眸も、義仲の横顔を横の座から、見すましていた。
「恐れはせぬが、敵は味方に倍する大軍。平野の合戦では、勝目が乏しい。── それゆえ、もし敵が倶梨伽羅くりからけん を越え、小矢部川の平地へ出たら、一大事と思え」
ここで、彼は言葉を切った。そして、後ろに控えていた、物見頭の井上九郎光盛じぇ、あごをしゃくって、
「光盛。 ── 今暁、そちが見届けた通りを、そこで語れ。敵の動きを、皆に話せ」
と、命じた。
井上九郎は、床几しょうぎ へ向かって、一礼してから、
「されば、敵は十万と称するものの、実数、五万八千から六万と思われまする。かねてお らせの如く、平家はその大軍を二手に分け、一手は平通盛を主将に、忠度ただのり知度とものり 、経正などがたす け、およそ一万八千騎、加賀、能登の国ざかい、志雄山しおやま氷見ひみ を越え、越中の伏木に出ようとしております」
と、述べた。そしてまた、言葉を続け、
「べつの一手は、維盛を大将に、淡路守清房、越中盛嗣えっちゅうもりつぐ 、飛騨判官景高など、歩騎四万余の大部隊にて、越中路の近道、すなわち倶梨伽羅越えをさして、悠々ゆうゆう 近づきおりますれば、今日中には、森本辺に陣取り、明日は、倶梨伽羅を北へ越え出でんこと、必定かと思われまする」
と、結んだ。
すぐ、あとを、義仲がうけて、
「聞かれたか、人びと」
と、一倍、言葉に力を込めた。
「つまりは、敵にとっても、味方にとっても、今日一日が、いとまに過ぎぬ。思慮をめぐらすも、士気を養うも、今日一日でしかない。── そこでおれの思うには、平野の合戦よりは、山戦やまいくさ だ。敵、倶梨伽羅に入らば、山路をふさ ぎ、奇兵を忍ばせ、山中の諸所で撃ち悩まさんと存ずるが、その策はどうであろう。── 幸いに、おれどもはみな木曾生まれ、また、土着の将士も味方には多い。それに反し敵兵は、洛中、近畿、西国兵などの柔弱骨にゅうじゃくぼね 、かつはみな案内知らずよ。・・・・おれどもの得手えて とする山合戦なら、一人が十人にも当たり得ようが」
「げにも、山中を足場に取るならば」
諸将は、異口同音いくどうおん に、
「お考えは、上乗と存じまする。このうえはただ、お指図を賜って、一ときも早く、砺波山となみやま の要所を食い止めおかねばなりますまい」
と、ふる って答えた。
すると越中の住人宮崎太郎が、こう進言した。
「砺波山には、三道さんどう があります。南、北、中の三つの道です。いま、敵の本陣が目ざして来るのは、中の黒坂道に相違なく、さすれば、敵は山上の猿ヶ馬場に陣する以外はありません。── お味方は、ひそと、三道に別れて攻め上り、不意に出て、猿ヶ馬場を突くならば、敵は足場を失うて、敗れ去るものと思われますが」
「よしっ、保科ほしな 四郎しろう は、手勢を率い、すぐここを立って、倶梨伽羅の東のふもと、日宮林ひのみやばやし に兵を伏せ、かしこの隘路あいろ を、しかと守れ」
と義仲は即座に、第一令を発した。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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