〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-Z 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (九) ──
く り か ら の 巻

2013/10/09 (水)  めい (一)

一時の騒ぎは、兵同士の喧嘩けんか でもなく、裏切り者が出たわけでもない。牛繋うしつな ぎ場の牛が、火を恐れて、暴れだしたまでのこと。
そう原因も知れ、騒ぎもすぐ鎮まったのである。── が、なお義仲が諸将を連れて、庄川べりの自陣を見て歩いたのは、目睫もくしょう の決戦をひかえての前夜だけに、軍紀のゆるみをおそ れての、微行しのび の陣見まわりをしたものであったろう。
総大将の正しい閲兵は、翌十日の昼行われた御河端おかわばた の陣ぞろいがそれといってよい。
この日の陣ぞろいには、先鋒も一応引き返し、遅れていた隊も着き、木曾の三万余騎は、娘子軍じょうしぐん までふくめて、一兵も余さず御河端に集まったので、壮観を極め、それは、義仲一代のはれ ともながめられた。
意識してか、義仲のいでたちも、特に華やかだった。ともえあおい の女将軍ふたりを、駒の左右に従え、すこし間をおいて、叔父の新宮十郎行家以下、樋口兼光、今井兼平、楯親忠たてのちかた根井ねのいの 小弥太こやた などの四天王、また落合兼行、大夫坊覺明、仁科、山田、高梨、余田、富樫などの部将数十人をうしろに連れていた。そして、大声で、
「峠だぞ、峠だぞ。さしかかるいくさ の山こそ、都入りが成るか成らぬかの峠だ。功を立つるも、恥を残すも、今明こんみょう の一期にあるぞ」
と、七団の軍列の間を、とうとうと、ひづめの音高く、駈け通った。
全軍を七手ななて に分けたのは、横田河原で大捷たいしょう したときの陣立たいしょう である。以後、木曾勢は、それを吉例とし、七将星七手備ななてぞな えを、つねとしていた。
巡陣を終わると、義仲は、御河端の御祓岩みそぎいわ に駒を降りて立った。むかし、庄川は雄神川おかみがわ とよび、雄神の社領だった川端三十町は、魚鳥禁断の場所とされていた。御祓岩はその遺跡である。
ここに床几しょうぎ をすえ、叔父行家、四天王などの股肱ここう を左右に、彼は、
「いよいよ、平家との乾坤一擲けんこんいってき の日は近づいた。敗れたら、事ここに終わるというもの。勝ったら、おれは一躍、都へのし上って、天下をにぎろう。面々の運不運も、今明こんみょう のうちにある。男と生まれ、おたがい、悔いのない生涯をしようぞ」
と、烈しい語調で言った。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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