「有教
。夕べから、前の軍勢は、すこしも進み出ないではないか」 「まことに、はたと、駐とま
っておりますな」 「どうしたことぞ」 「先陣から先陣と、行きつかえているものとみえまする。すでに、ここは湖北の海津かいづ
。これから北は、越前の国境で、七里半越えとか、愛発越あらちご
えとか、敦賀つるが までは、山ばかりでもございますし」 「むなしく、馬を止めて、若葉のよい季節を、倦う
んでいるのも知恵がない。── 有教、供をせい」 「どこへいらっしゃいますので」 「小舟で、竹生島ちくぶしま
へ渡ってみよう。そちは、櫓ろ
があやつれるか」 「櫓は、守教もりのり
がよくいたしまする」 「では、守教も、呼べ」 皇后宮亮こうごうぐうのすけ
経正つねまさ は、琵琶湖びわこ
の汀なぎさ へ出て、小舟に乗った。 きのうから、行軍の先がつかえ、なんの都合か、中軍も動かず、先鋒せんぽう
も進まない。 そこで、思いついたのだった。かねて聞く竹生島は、この海津かいづ
の漁村から、眼と鼻の先、 (生きて帰れるか否かも知れぬ戦いくさ
の旅立ち。竹生島の絶景に、今世こんぜ
の名残を惜しみ、明神のおん前に、後生を祈って行こうよ) ── と。 供の侍は、有教ありのり
と守教もりのり の二人だけ。 やがて、かなたの島へ漕こ
ぎ寄せ、主従は、絶壁をよじ登って行く。上に、神さびた一宇いちう
の社がある。 経正は、そこの老禰宜ろうねぎ
から、料紙硯すずり を請こ
いうけて、平家勝利の願文がんもん
を書いた。 なお、その願文の末には、 大将軍、小松こまつ
維盛これもり 、越前三位えちぜんさんみ
通盛みちもり 。 副将軍、薩摩守さつまのかみ
忠度ただのり 、淡路守清房、三河守みかわのかみ
知度とものり 、皇后宮亮経正。 以下、侍大将六人としたため、社殿にささげた後、しばし、ぬかずいて祈願をこらした。 「これは、北陸追討のおん道すがらにござりましたか」 老禰宜は、そのあとで朽ちた社廊の一隅いちぐう
に、菅すが むしろを設けて、 「猿酒さるざけ
なと、お口よごしに」 と、酌つ
いですすめた。 自然な味の、木こ
の実み 酒である。経正は、ついすごして、陶然と、酔いを覚えてきた。 「禰宜どの。近ごろ珍しい馳走ちそう
に会うたな。・・・・あたりの景も、いちだんと、鮮あら
らかなながめに見ゆる」 「お口におうて結構でございまいた。やがて、比良ひら
、比叡ひえい に陽のはいるころは、なお麗うるわ
しい空になりましょう」 「舟から仰げば、これや、蓬莱ほうらい
の島かと疑われる。── 不断の波に、松まつ
かぜ奏かな で、水精輪すいしょうりん
の山あって、天女てんにょ の栖す
む所とは、げにこの島のことだろう」 「されば、竹生島の弁財天は、天平てんぴょう
のむかしからと申しますれば」 「それよ、思い出した。この御社みやしろ
にはたしか、 “仙童せんどう
” と銘なづ くる琵琶びわ
が伝わっているはず。── むかし、竹生島に神仙会しんせんえ
のありしとき、松室まつむろ ノ仲算ちゅうさん
と申す者の童わらべ 弟子が、琵琶を弾だん
じて、天の法楽に供え、それが今の残っているとか」 「はい、。言い伝えの虚実はぞんじませぬが、仙童の琵琶は、社殿の宝物となっておりまする。── 聞くならく、平家の御公達は、みな風流のよしなれど、わけて、皇后宮亮こうごうぐうのすけ
の君には、琵琶の御名手と、伺うておりまする。はからず、御参詣ごさんけい
のおん契ちぎ りに、妙音天の社前において、なんぞ、一曲お弾ひ
き給わりますまいか」 「はははは、禰宜ねぎ
どのよ、無理をいうな」 経正は、こころよげに、打ち笑って、 「幼少より、琵琶を好むものだが、さりとて、仙童を弾じるほどな技能はない。・・・・それよりもこの静かなる鳰にお
の湖うみ に、まなこを半眼はんがん
にし、耳を澄ましていたがよい。── 暮れかかる雲も何やらん歌うているげな。── 波のささやき、松風のことば、あらゆるものが天楽てんらく
の奏かな でであろうが。なんで、この自然の音楽をよそに、経正が下手へた
な琵琶などを、妙音天女も聞こし召そうや」 木の実酒のほどよい酔いに、じつは眠たくなったのかも知れない。経正は、柱に倚よ
ったまま、いうがごとく、眼を半眼にうっとりと、ひざを抱かか
え込んだ。 |