〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-Z 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (九) ──
く り か ら の 巻

2013/10/04 (金) せん  どう (二)

有教ありのり 。夕べから、前の軍勢は、すこしも進み出ないではないか」
「まことに、はたと、とま っておりますな」
「どうしたことぞ」
「先陣から先陣と、行きつかえているものとみえまする。すでに、ここは湖北の海津かいづ 。これから北は、越前の国境で、七里半越えとか、愛発越あらちご えとか、敦賀つるが までは、山ばかりでもございますし」
「むなしく、馬を止めて、若葉のよい季節を、 んでいるのも知恵がない。── 有教、供をせい」
「どこへいらっしゃいますので」
「小舟で、竹生島ちくぶしま へ渡ってみよう。そちは、 があやつれるか」
「櫓は、守教もりのり がよくいたしまする」
「では、守教も、呼べ」
皇后宮亮こうごうぐうのすけ 経正つねまさ は、琵琶湖びわこなぎさ へ出て、小舟に乗った。
きのうから、行軍の先がつかえ、なんの都合か、中軍も動かず、先鋒せんぽう も進まない。
そこで、思いついたのだった。かねて聞く竹生島は、この海津かいづ の漁村から、眼と鼻の先、
(生きて帰れるか否かも知れぬいくさ の旅立ち。竹生島の絶景に、今世こんぜ の名残を惜しみ、明神のおん前に、後生を祈って行こうよ) ── と。
供の侍は、有教ありのり守教もりのり の二人だけ。
やがて、かなたの島へ ぎ寄せ、主従は、絶壁をよじ登って行く。上に、神さびた一宇いちう の社がある。
経正は、そこの老禰宜ろうねぎ から、料紙すずり いうけて、平家勝利の願文がんもん を書いた。
なお、その願文の末には、
大将軍、小松こまつ 維盛これもり越前三位えちぜんさんみ 通盛みちもり
副将軍、薩摩守さつまのかみ 忠度ただのり 、淡路守清房、三河守みかわのかみ 知度とものり 、皇后宮亮経正。
以下、侍大将六人としたため、社殿にささげた後、しばし、ぬかずいて祈願をこらした。
「これは、北陸追討のおん道すがらにござりましたか」
老禰宜は、そのあとで朽ちた社廊の一隅いちぐう に、すが むしろを設けて、
猿酒さるざけ なと、お口よごしに」
と、 いですすめた。
自然な味の、 酒である。経正は、ついすごして、陶然と、酔いを覚えてきた。
「禰宜どの。近ごろ珍しい馳走ちそう に会うたな。・・・・あたりの景も、いちだんと、あら らかなながめに見ゆる」
「お口におうて結構でございまいた。やがて、比良ひら比叡ひえい に陽のはいるころは、なおうるわ しい空になりましょう」
「舟から仰げば、これや、蓬莱ほうらい の島かと疑われる。── 不断の波に、まつ かぜかな で、水精輪すいしょうりん の山あって、天女てんにょ む所とは、げにこの島のことだろう」
「されば、竹生島の弁財天は、天平てんぴょう のむかしからと申しますれば」
「それよ、思い出した。この御社みやしろ にはたしか、 “仙童せんどう ” となづ くる琵琶びわ が伝わっているはず。── むかし、竹生島に神仙会しんせんえ のありしとき、松室まつむろ仲算ちゅうさん と申す者のわらべ 弟子が、琵琶をだん じて、天の法楽に供え、それが今の残っているとか」
「はい、。言い伝えの虚実はぞんじませぬが、仙童の琵琶は、社殿の宝物となっておりまする。── 聞くならく、平家の御公達は、みな風流のよしなれど、わけて、皇后宮亮こうごうぐうのすけ の君には、琵琶の御名手と、伺うておりまする。はからず、御参詣ごさんけい のおんちぎ りに、妙音天の社前において、なんぞ、一曲お き給わりますまいか」
「はははは、禰宜ねぎ どのよ、無理をいうな」
経正は、こころよげに、打ち笑って、
「幼少より、琵琶を好むものだが、さりとて、仙童を弾じるほどな技能はない。・・・・それよりもこの静かなるにおうみ に、まなこを半眼はんがん にし、耳を澄ましていたがよい。── 暮れかかる雲も何やらん歌うているげな。── 波のささやき、松風のことば、あらゆるものが天楽てんらくかな でであろうが。なんで、この自然の音楽をよそに、経正が下手へた な琵琶などを、妙音天女も聞こし召そうや」
木の実酒のほどよい酔いに、じつは眠たくなったのかも知れない。経正は、柱に ったまま、いうがごとく、眼を半眼にうっとりと、ひざをかか え込んだ。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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