〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-Z 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (九) ──
く り か ら の 巻

2013/10/02 (水)  くるま がえ し (三)

六波羅広場には、宗盛を初め、知盛、重衡、維盛、そのほか、一門の若々しい顔は、みな華やかなかぶとよろい に身をかためて、ひしめいていた。
「いつかは、かからんこともあろうずと、常々思うていたところ、案の如しよ」
と、公達きんだち ばらは、口々に、日ごろの不服を、大声で きあっていた。
一門の長上めうえ たちは、法皇のお扱いとか、御態度なりを、真っ正直にうけていたが、若い人びとは 「さて、どうあろうか」 と、いぶかった。 「これまでの御性情としても、あるまじき近ごろのおんつつしみよう 」 と、むしろ、疑惑を深めていたのである。
だから、公達ばらとしては、
「さてこそ」
と、思っただけで、意外とはしていなかった。狼狽ろうばい したのは、すべて、一門の長上ちょうじょう たちで、
内裏だいり を護れ。何をおいても、真っ先に、内裏を警固し奉れ」
と、一軍を いて、すぐ急がせた。
天皇を推戴すいたい する。その軍は、そく 、官軍であり、号令は、勅となる。
宗盛や教盛たちは、すぐそのおそ れも抱いて 「もし、帝の御動座などを見ては」 と、大いにあわてたのである。それへの手当てがすむまでは、何事も耳に入らない様子だった。
「やろ、兄君。より以上、法皇のお行き先を追い奉るこそ、今は、急ではございませぬか。もし、一院が、叡山へおはいりあっての後となっては」
重衡に言われて、宗盛は急に、一方の空を見て、
「それよ、それもじゃ。なんと、心忙こころせわ しいことではあるぞ」
「たれのかれのと、人選びいたしていては、手間取りましょう。相手は、ほかならぬ法皇きみ 、事むずかしゅう覚えますが、いっそ、わたくしが参りましょうず」
「おう、行ってくれい。み車に追いつき参らせ、是が非でも、お連れ戻して来てくれよ」
「心得まいた」
重衡は、武者三千騎をつれて、ただちに、法皇の御幸車ごこうぐるま を追いかけた。
御幸の列は、志賀の坂本の南、穴太あのう のあたりにさしかかっていた。── 重衡は遠くから、
「やあ待ち給え。車副くるまぞい の人びと、み車をしばし止め給え」
と、こま を早めて呼びかけた。
遠見にも知れるほど、供奉ぐぶ の人びとは、うしろを見て、あきらかな狼狽ろうばい と、さわ ぎに、行きよど んでいた。
追いついた六波羅武者の一隊は、み車を先へ駆け抜けて、半町ほどかなたでぴたと止まった・そして松並木から湖水こすい のなぎさまで、横列を き、道に人壁ひとかべ を作ってしまった。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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