「やあ、畏
れを知らぬ武者どもかな。これは、一院の御幸ごこう
にましますを、何ゆえ阻はば め立てぞ。慮外りょがい
すな」 供奉の一人、勘解由かでの
小路こうじ 経房つねひさ
は、駒の上から、大声でしかった。 そのほかの車副には、── 近江中将為清、伯耆守ほうきのかみ
光綱、右少将うしょうしょう 雅賢まさかた
、越前少将信行、鼓判官つづみのほうがん
知泰、主水正もんどのしょう 親業ちかなり
などの近臣が見える。騎馬、あるいは徒歩立かちだち
で、胡?やなぐい を負い、弓をかいもち、すべて、御狩猟みかり
の出でましのような行装であった。 「一院と見奉ればこそ、申すにて候う。かくいうは、宗盛が舎弟本三位中将ほんざんみのちゅうじょう重衡しげひら
。畏れを知らぬにはあらねど、時ならぬ御幸ごこう
、不審なリ。返させ給え」 と、そこへ迫って来た重衡は、威を持ちながらも、非礼にならぬ程度に言い返した。 「や、重衡卿御自身かよ」 院の近臣たちは、色めきを沈めてしまった。およその武者ならば、一院の御威光をもっても、また、口先でも追い返し得るつもるでいたらしいが、
「中将どのでは」 と、たじたじに見えた。 「あいや、不審と申さるるが」 近江中将為清だった。やや前へ出て、こう答えた。 「── 今日、日吉ひえ
のみ社やしろ において、少僧都しょうそうず
顕真けんしん の、法華経ほけきょう
一万部転読の法会ほうえ あれば、一院におかせられても、結縁けちえん
のため、詣もう でらるるにてあんなるを、不審とは、卒爾そつじ
でおざろう」 「何かは知らぬが、かりそめの御幸といえ、まだ夜も明けぬ間に、六波羅へもなんの仰せ出もなく、密ひそ
かな御出門は、そも、いかなるわけであろうか」 「お微行しのび
のことなれば、沙汰にも及ばず、また御物詣おんものもう
での儀なれば、未明の御出門も、例なきことではない」 「いやいや、そも、おん物詣での供奉が、弓箭きゅうせん
を帯したり、北面ほくめん どもを大勢召し連れたるなど、われらには、なんとも心得られぬ。・・・・ともあれ、還御かんぎょ
あらせられたい。戻り道は、重衡が供奉申しあげん」 一院のみ車を繞めぐ
って、側近たちは、ただ当惑と狼狽に、なすところも知らない有様だった。しかし重衡は、彼らのすべてを無視して、武者に号令をかけ、牛飼のムチを奪って、法皇のみ車を、元の道へと、急がせてしまった。 荒武者のムチに追われて、牛は、脚を早め出した。院の近臣たちも、取り残されるばかり、み車は迅はや
くなり、大きく揺れに揺れて見える。 内なる後白河のお憤いきどお
りは、どんなであったろう。ずい分お疲れになったにちがいない。やがて、み車は元の法住寺殿の門へ、むなしく帰った。そして、院の車寄くるまよせ
せの廂ひさし の下に、埃ほこり
だらけな牛と、車の輪が、横づけに停まった。 停まるとすぐ、後白河は、御自身で、ばらっと、簾す
をまくりあげ、大きなお体を半分、外へ出した。 すごい、み気色けしき
である。青すじを、こめかみの辺りに、ありありと、膨ふく
らましていらっしゃる。 死んだ入道清盛は、これに驚かなかった。彼も負けない顔して、頭から湯気を立てたものだった。しかし、清盛亡き後、こんな生地きじ
のお顔をお見せになったのはめずらしい。しかも、むらがる武者を、ぎょろと、車の上から見まわして、仰っしゃったものである。 「重衡。重衡っ」 「おん前に、こう、畏かしこ
まっておりまする」 「今日のことは、たれのさしずか」 「・・・・はっ」 「宗盛か」 「いえ、六波羅にも、人は多うございまする。一門の評議の末、にわかにわたくしが、お迎えに急いだのでございました」 「いらざることを」 法皇は、語気を強めて、 「おことら、入道の子も、また、親なる入道の悪いところを真似まね
る気か。かつて、まろが鳥羽に幽閉されたおりはなんじの兄宗盛が、ちょうど今日のように、武者ども大勢を引き連れて、迎えに来おった。── そして今は、その弟のために、物詣ものもう
での途中からこれへ引き戻されたぞ。── 親子ともに、まろとは、よくよくな悪因縁あくいんねん
」 「・・・・・」 なにか、凄気せいき
のこもった祈祷師きとうし の鈴でも聞くようなお声だった。重衡はぞくとして、思わず五体がすくんだ。 その姿から、凝視を離すと、法皇には、急に語調を抛なげう
つようにお変えになって、 「はははは、このようでは、物詣でにさえ、うかとは出られぬ。平家はよほど、まろが身への手枷てかせ
足枷あしかせ が好きとみゆる。前太政入道さきのだじょうにゅうどう
が遺言にでもよることか」 と、み車を降りてから、もいちど、高々と哄笑こうしょう
された。そして、地に充つ武者の群を尻目しりめ
に、大廂おおひさし の内深くへ、袖を払って、入って行かれた。 |