〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-Z 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (九) ──
く り か ら の 巻

2013/10/02 (水)  くるま がえ し (四)

「やあ、おそ れを知らぬ武者どもかな。これは、一院の御幸ごこう にましますを、何ゆえはば め立てぞ。慮外りょがい すな」
供奉の一人、勘解由かでの 小路こうじ 経房つねひさ は、駒の上から、大声でしかった。
そのほかの車副には、── 近江中将為清、伯耆守ほうきのかみ 光綱、右少将うしょうしょう 雅賢まさかた 、越前少将信行、鼓判官つづみのほうがん 知泰、主水正もんどのしょう 親業ちかなり などの近臣が見える。騎馬、あるいは徒歩立かちだち で、胡?やなぐい を負い、弓をかいもち、すべて、御狩猟みかり の出でましのような行装であった。
「一院と見奉ればこそ、申すにて候う。かくいうは、宗盛が舎弟本三位中将ほんざんみのちゅうじょう重衡しげひら 。畏れを知らぬにはあらねど、時ならぬ御幸ごこう 、不審なリ。返させ給え」
と、そこへ迫って来た重衡は、威を持ちながらも、非礼にならぬ程度に言い返した。
「や、重衡卿御自身かよ」
院の近臣たちは、色めきを沈めてしまった。およその武者ならば、一院の御威光をもっても、また、口先でも追い返し得るつもるでいたらしいが、 「中将どのでは」 と、たじたじに見えた。
「あいや、不審と申さるるが」
近江中将為清だった。やや前へ出て、こう答えた。
「── 今日、日吉ひえ のみやしろ において、少僧都しょうそうず 顕真けんしん の、法華経ほけきょう 一万部転読の法会ほうえ あれば、一院におかせられても、結縁けちえん のため、もう でらるるにてあんなるを、不審とは、卒爾そつじ でおざろう」
「何かは知らぬが、かりそめの御幸といえ、まだ夜も明けぬ間に、六波羅へもなんの仰せ出もなく、ひそ かな御出門は、そも、いかなるわけであろうか」
「お微行しのび のことなれば、沙汰にも及ばず、また御物詣おんものもう での儀なれば、未明の御出門も、例なきことではない」
「いやいや、そも、おん物詣での供奉が、弓箭きゅうせん を帯したり、北面ほくめん どもを大勢召し連れたるなど、われらには、なんとも心得られぬ。・・・・ともあれ、還御かんぎょ あらせられたい。戻り道は、重衡が供奉申しあげん」
一院のみ車をめぐ って、側近たちは、ただ当惑と狼狽に、なすところも知らない有様だった。しかし重衡は、彼らのすべてを無視して、武者に号令をかけ、牛飼のムチを奪って、法皇のみ車を、元の道へと、急がせてしまった。
荒武者のムチに追われて、牛は、脚を早め出した。院の近臣たちも、取り残されるばかり、み車ははや くなり、大きく揺れに揺れて見える。
内なる後白河のおいきどお りは、どんなであったろう。ずい分お疲れになったにちがいない。やがて、み車は元の法住寺殿の門へ、むなしく帰った。そして、院の車寄くるまよせ せのひさし の下に、ほこり だらけな牛と、車の輪が、横づけに停まった。
停まるとすぐ、後白河は、御自身で、ばらっと、 をまくりあげ、大きなお体を半分、外へ出した。
すごい、み気色けしき である。青すじを、こめかみの辺りに、ありありと、ふく らましていらっしゃる。
死んだ入道清盛は、これに驚かなかった。彼も負けない顔して、頭から湯気を立てたものだった。しかし、清盛亡き後、こんな生地きじ のお顔をお見せになったのはめずらしい。しかも、むらがる武者を、ぎょろと、車の上から見まわして、仰っしゃったものである。
「重衡。重衡っ」
「おん前に、こう、かしこ まっておりまする」
「今日のことは、たれのさしずか」
「・・・・はっ」
「宗盛か」
「いえ、六波羅にも、人は多うございまする。一門の評議の末、にわかにわたくしが、お迎えに急いだのでございました」
「いらざることを」
法皇は、語気を強めて、
「おことら、入道の子も、また、親なる入道の悪いところを真似まね る気か。かつて、まろが鳥羽に幽閉されたおりはなんじの兄宗盛が、ちょうど今日のように、武者ども大勢を引き連れて、迎えに来おった。── そして今は、その弟のために、物詣ものもう での途中からこれへ引き戻されたぞ。── 親子ともに、まろとは、よくよくな悪因縁あくいんねん
「・・・・・」
なにか、凄気せいき のこもった祈祷師きとうし の鈴でも聞くようなお声だった。重衡はぞくとして、思わず五体がすくんだ。
その姿から、凝視を離すと、法皇には、急に語調をなげう つようにお変えになって、
「はははは、このようでは、物詣でにさえ、うかとは出られぬ。平家はよほど、まろが身への手枷てかせ 足枷あしかせ が好きとみゆる。前太政入道さきのだじょうにゅうどう が遺言にでもよることか」
と、み車を降りてから、もいちど、高々と哄笑こうしょう された。そして、地に充つ武者の群を尻目しりめ に、大廂おおひさし の内深くへ、袖を払って、入って行かれた。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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