〜 〜 『 寅 の 読 書 室 Part U-Y 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (八) ──
三
(
さん
)
界
(
がい
)
の 巻
2013/09/26 (木)
白
(
はく
)
眼
(
がん
)
子
(
し
)
(二)
その時、ちょうど中門廊の
簾
(
す
)
の蔭に立った平大納言時忠は 「── 何事か」 と、怪しむように、
前栽
(
せんざい
)
の夕明りをすかし、文覚の姿を、遠くに、見ていた。
時忠は、それを、高雄の文覚と知ると、なぜか
瞼
(
まぶた
)
に、湯のようなたぎりを覚えてしまった。── 平太時代の
義兄
(
あに
)
清盛と文覚との仲は、かねて、聞いている。その文覚は、たしか、清盛より一つか二つ年上なのだ。どうして、彼ほどな健康とたくましさが、義兄にはないのか。
(・・・・ああうらやましい。ままにならぬものだ。もし、文覚ほどな肉体が、禅門にあるならば、鎌倉の源氏、信濃の木曾勢も、何かあらん。西国や紀州の、今日までの味方にも、足もとを見すかされて、かくは、平家の落ち目を見もしまいに)
つくづく、そんな思いに、ふと、とらわれたからであった。
その間にも、文覚は、うそぶく
虎
(
とら
)
のように、奥の木立へ向かって、声を振り立てていた。
「思えば、おかしなこの世ぞ。一たんの
煩悩
(
ぼんのう
)
によって、
無限
(
むげん
)
の闇に
墜
(
お
)
ちたかとみえた文覚は、かえって、歓喜の楽土を大歩し、安芸守を踏み初めに、血のちまたから血のしまたを見るたびに、太政入道浄海とまで成り上がったおぬしは、おそらく、一日とて、安穏浄土に生くる味を、身に知ったことはあるまい。── いわばおぬしが生涯の
業
(
ごう
)
は、経ヶ島の石船じゃった。石を積んでは、沖へ
漕
(
こ
)
ぎ、石を沈めては、浮島を築く。したが、自然の風浪は、またたくまに、元のわだつみの姿に返す。さしも、福原の都も、今の姿は、どうかよ。・・・・わはははは。文覚の法悦とは、比較にならぬぞよ。平太、おれは、おぬしに勝ったぞ」
あごを突き出して、彼は叫ぶ。彼が、旧友平太の、世間的な出世を白眼視してから、胸の奥に持っていたのは、いま、露骨に吐いた声の内にあるものだったに違いない。いつか一度、それを清盛に言いたかったのだ。ただ、ここで彼が、頼朝との
心契
(
しんけい
)
や、源氏の入洛の必然を言わなかったのは、さすがに、ここは敵地と、わきまえていたからに過ぎない。
しかし、なお、清盛の罪条など、幾つかをかぞえ、
「いまは、おぬしとも、なんの恩怨はない。これが、文覚の
引導
(
いんどう
)
ぞ。やがて、おぬしも、西八条の形ある物も、
諸
(
もろ
)
ともに、一つ
荼毘
(
だび
)
の煙となろう。はるか、高雄の峰から、供養せん。やすらかに
逝
(
ゆ
)
け、平太清盛」
言い終わるやいな、文覚は、身をひるがえして、外へ走った。近づいた武者たちは、跳ね飛ばされ、中門廊の上から、
「捕えろ」
と、
叱咤
(
しった
)
した時忠の命も、間に合わないほど、迅かった。
淡路守清房、若狭守経俊など、兵を督して、追おうとしたが、時忠は、
「無用、無用」
と、制した。そしてこの一騒ぎに、なんとなく、かき乱された広庭の武者へ、
「静かに、こよいも、かがり火を
焚
(
た
)
けよ。大事は、眼前よりも、遠国にある。遠国の飛脚が来たら、時を移さず、時忠に告げい」
と、一室の
簾
(
す
)
の内へ、姿を隠した。
細い春の夕月が、大屋根にかかって、まだ、その宵も、病殿のけはいは、静かであった。
著:吉川 英治 発行所:株式会社講談社 ヨリ
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