〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-Y 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (八) ──
さん がい の 巻

2013/09/26 (木) はく がん (一)

うるう 二月二日の宵だった。
閏月うるうづき である。太陰暦たいいんれき (一年を三百六十日とする) による余剰日が積もって、ことしは、一年が十三ヶ月あることになる。
で、先月も二月。月をこえても、、あた、二月がくり返された。
その夕べ、西八条の門へ、ひとりの怪僧がおとず れて、阻める武者たちも眼中になく、
「入道の、おん病あつ しと聞いて参った。かく言う自分は、遠き昔、平太清盛とは勧学院の学窓に机を並べていたよし みのある者。── いまは高雄に神護寺の建立こんりゅう を営み、ひたすら世の大浄化だいじょうげ を祈る文覚もんがく と申す沙門しゃもん 。入道のおん見舞いにまか り出でぬと、伝えられよ」
傲慢ごうまん な物腰、物の言い方、しかも大殿の奥へも聞こえよとばかり、破れ鐘声で言うのである。
もとより、通すはずもない。
「いや、お取次ぎはしておくが、かかるおりなれば」
と、淡路守清房の部下が出て、追い返しにかかると、文覚は、
「しておいてもらう取次ぎなどたれが頼もう。いま、申し告げい。そちの上将はあたれか。上将に、物申さん」
と、いっかな、動きもしない。
淡路守が、なだめに出ても、
「平太清盛とは、むかしは、ひとつかめ の酒も んだ仲ぞ。六条の遊女宿あそびやど の軒端も、腕をくんで、さまよい歩いたふる い友ぞ。なんじらの知ったことか。── いま旧友の重態と聞き、むかしを想い、生涯のじょう べんと、初めて、この門へ参ったるに、なんで、取次がぬ。もし、文覚来れりと聞くならば、清盛入道も、いなみはすまい。あわれ、これが彼と俺との、一生の別れでもあろうずるに」
と、なお言いつのる。
かつて、この男は、法住院寺殿ほうじゅうじでん でも、法皇御遊楽の御庭みにわ闖入ちんにゅう して、武者や衛士えじ をあいてに、大暴れを演じたとも聞いている。伊豆に流されて帰った後も、粗暴の風は、あいかわらずで、怪僧文覚の名は、洛中に高い。いわば、始末の悪い相手だ。このさいではあり、武者たちも、持て余し気味に見えた。
「よし、よし、通しもせず、取次ぎもせぬとあらば、声の届く所から、病殿びょうでん に向かって、文覚が、別れの物申さん」
ずかずかと、彼は中門廊のさかいまで進んで来て、そこのかき ごしに、
「── やよ、入道、いや平太清盛。ついに、俺とお主とは、塩小路のつじ を境に、爾来じらい 四十年、まったく、別な道を歩いたぞ。どうだ、いま死なんとして、悔いはないか」
武者たちは、気をのまれ、がやがや、遠巻きを作っているだけだった。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
Next