経盛、教盛
などの近親は、中殿の一間に、鳩首きゅうしゅ
して、麻鳥が診断の結果を、待っていた。 とりわけ、経盛は、阿部麻鳥をふかく信じている。 ── 仁和寺の隆暁が 「めずらしい名医である」 と言い、 「ほんとうの仁者だ」
と賞ほ め称たた
えていた麻鳥なので、その人の医術によって、何か、新たな望みがかけられるのではないかと、期待に満ちていた。 そこへ、頼基、定成、知康ともやす
などが、ぞろぞろと、入って来た。そして、 「どうも、聞こえるほどな者でもございません。やはり町医で」 と、口をそろえて、麻鳥を医者としての無能を、あざけった。 「あんなことで、病がわかるものではない。御病間へ伺候したものの、とんと、落ち着かない容子ようす
で、おそらく、御威厳にわなないていたのでしょう。おん枕べから三尺も離れて、手をつかえたまま、退がってしまいました。さそおく、暇いとま
をくれて、引き退がらせてはいかがでしょうか」 「病名とか、療治の仕方などについて、何か、御辺たちとの間に、よい談合は出なかったのか」 「深く考え込んでしまっただけで、いっこう、これという意見も申し出ません。察するところ、まったく、身に重過ぎた大命をこうむり、ただただ、当惑したものとみえまする」 「ふうむ、さもあろうか」 と、門脇殿かどわきどの
(教盛) は、うなずいて、 「何か、礼物をとらせて、帰すがいい」 と、言い渡した。しかし、経盛はなお、 「いや、いや。麻鳥とて、身に心得もなく罷まか
り出るわけもない。せっかく、招いた者じゃ。ともあれ、これへ呼んでくれい」 と、期待を持じ
して、やがて、直接、麻鳥に会った。 そこで経盛や門脇殿から 「憚はばか
りなく診断のうえの考えを」 と、求められた。事実、いうべきか、いうべきでないか、麻鳥も、心で迷っていたのである。 医師としては、信じるところを、言わなければならない。 しかし、入道は、一庶民ではない。 ただ、平氏一門の盛衰を左右するばかりでなく、入道の双肩には、時のみかどを初め、おん国母の運命もかかっている。大きくは、天下の動きに、時局の機微に、重大な影響をよび起こそう。
麻鳥とて、それを、考慮せずにはいられなかった。 (はて、困った) まったく、彼は、当惑しているのである。自分の力で治癒の見込みがないからでもあった。と言って、この病の療法や秘薬があるとは、唐宋ようそう
の医書にもないし、先師和気百川からも聞いていない。つまりは、不治の病なのだ。 それも、ぜひがない。近親が 「忌憚きたん
なく」 と、求める以上、正直に、言うべきである。けれど。麻鳥が当惑したのは、そのことではなく、病人の “死期” であった。 不治の病といっても、このまま、一時は常態に復するか、半年後斃たお
れるか、あるいは、今日明日か、分からない病気なのである。── 侍医の間に退さ
がってからも、じっと、考え込んだのは、その判断だった。そして今、ようやく、ある判定をもったとき、経盛から呼ばれたのであった。 「お考えにところを、率直に伺いたいのじゃ。禅門の御命は、助かるであろうか、否かを。──
麻鳥どの、どうであろうの」 「まことに、申し上げにくいのでございまする」 「と、いうことは、むずかしいというおみたてか」 「くわしく申し述べたいと存じますものの」 「もとより、詳しゅう聞かせて欲しい」 「が、ほかならぬおん位置の君」 「というて、われらも、わきまえおかねば。・・・・くるしゅうない。何事なと、申されい」 「かまいませぬか」 「座には、ごぅ近親の者と、医療の者よりほかにはおらぬ」 「せは、愚見を申し上げますが」 麻鳥は、坐り直した。まず、自分へ向かっても、自分の所信を歪ま
げまいと誓った。そして人びとへ、こう、説明しはじめた。 |