〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-Y 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (八) ──
さん がい の 巻

2013/09/24 (火) 麻 鳥 拝 診 (四)

経盛、教盛のりもり などの近親は、中殿の一間に、鳩首きゅうしゅ して、麻鳥が診断の結果を、待っていた。
とりわけ、経盛は、阿部麻鳥をふかく信じている。 ── 仁和寺の隆暁が 「めずらしい名医である」 と言い、 「ほんとうの仁者だ」 とたた えていた麻鳥なので、その人の医術によって、何か、新たな望みがかけられるのではないかと、期待に満ちていた。
そこへ、頼基、定成、知康ともやす などが、ぞろぞろと、入って来た。そして、
「どうも、聞こえるほどな者でもございません。やはり町医で」

と、口をそろえて、麻鳥を医者としての無能を、あざけった。
「あんなことで、病がわかるものではない。御病間へ伺候したものの、とんと、落ち着かない容子ようす で、おそらく、御威厳にわなないていたのでしょう。おん枕べから三尺も離れて、手をつかえたまま、退がってしまいました。さそおく、いとま をくれて、引き退がらせてはいかがでしょうか」
「病名とか、療治の仕方などについて、何か、御辺たちとの間に、よい談合は出なかったのか」
「深く考え込んでしまっただけで、いっこう、これという意見も申し出ません。察するところ、まったく、身に重過ぎた大命をこうむり、ただただ、当惑したものとみえまする」
「ふうむ、さもあろうか」
と、門脇殿かどわきどの (教盛) は、うなずいて、
「何か、礼物をとらせて、帰すがいい」
と、言い渡した。しかし、経盛はなお、
「いや、いや。麻鳥とて、身に心得もなくまか り出るわけもない。せっかく、招いた者じゃ。ともあれ、これへ呼んでくれい」
と、期待を して、やがて、直接、麻鳥に会った。
そこで経盛や門脇殿から 「はばか りなく診断のうえの考えを」 と、求められた。事実、いうべきか、いうべきでないか、麻鳥も、心で迷っていたのである。
医師としては、信じるところを、言わなければならない。
しかし、入道は、一庶民ではない。
ただ、平氏一門の盛衰を左右するばかりでなく、入道の双肩には、時のみかどを初め、おん国母の運命もかかっている。大きくは、天下の動きに、時局の機微に、重大な影響をよび起こそう。
麻鳥とて、それを、考慮せずにはいられなかった。
(はて、困った)
まったく、彼は、当惑しているのである。自分の力で治癒の見込みがないからでもあった。と言って、この病の療法や秘薬があるとは、唐宋ようそう の医書にもないし、先師和気百川からも聞いていない。つまりは、不治の病なのだ。
それも、ぜひがない。近親が 「忌憚きたん なく」 と、求める以上、正直に、言うべきである。けれど。麻鳥が当惑したのは、そのことではなく、病人の “死期” であった。
不治の病といっても、このまま、一時は常態に復するか、半年後たお れるか、あるいは、今日明日か、分からない病気なのである。── 侍医の間に退 がってからも、じっと、考え込んだのは、その判断だった。そして今、ようやく、ある判定をもったとき、経盛から呼ばれたのであった。
「お考えにところを、率直に伺いたいのじゃ。禅門の御命は、助かるであろうか、否かを。── 麻鳥どの、どうであろうの」
「まことに、申し上げにくいのでございまする」
「と、いうことは、むずかしいというおみたてか」
「くわしく申し述べたいと存じますものの」
「もとより、詳しゅう聞かせて欲しい」
「が、ほかならぬおん位置の君」
「というて、われらも、わきまえおかねば。・・・・くるしゅうない。何事なと、申されい」
「かまいませぬか」
「座には、ごぅ近親の者と、医療の者よりほかにはおらぬ」
「せは、愚見を申し上げますが」
麻鳥は、坐り直した。まず、自分へ向かっても、自分の所信を げまいと誓った。そして人びとへ、こう、説明しはじめた。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
Next