経盛の嫡男、皇后宮亮
皇経正つねまさ は、馬を降りると、 「お迎え申し上げて参ったお医師なるぞ。武者ども、お医者の通り道をひらき給え」 と、西八条の内へどなった。 そして、経正が、かき分けて行く人影の中を、麻鳥は、おずおずと、あとに従つ
いて行った。 外門げもん
、二階門を通って、中門廊の東の口から、内へ上って行く。年少のころは、宮廷の楽寮がくりょう
にいたこともある麻鳥なので、いかに西八条が広壮こうそう
であろうと、建築の大には驚きもしなかったが、中門までの武者のかためと、内殿ないでん
の到るところにも充ち満ちている平家人へいけびと
のおびただしさには、何か、吐息が出た。 (これほどな人びとが、これほど心をいためても、一個の人間の死を、どうにもならぬ) すぐそれを感じたからである。 もうたそがれに近い。奥へ進んで行くほど、廊、太柱ふとばしら
、坪のあたりも暗さを加え、不知火しらぬい
のような明りの点々が、かなたこなたの廂ひさし
の内にながめられた。 「しばらく、ここにお控えを」 彼を待たせて、経正は、中殿のひと間へ入った。 ここまでは、急がせられたのに、ずいぶん長いこと、彼はそこに、ぽつねんとおかれた。 やがて、宵も更た
けたころ、やっと、経正に代って、三名のやごとない容子の人たちが、彼に前にあらわてた。それが門脇殿かどわきどの
やら右大臣殿やら、麻鳥には分からなかったし、さきも名乗りはしなかった。だだ、 「大儀であったの」 と、そのうちの一人が言い、 「もし、御辺の医法よろしきをえて、禅門快気のうえは、重き恩賞をとらせるであろう」 とまた、別な一人は、いいたした。 「はい。はい」 麻鳥は、ここへ来たことを、べつに悔いもしなかった。けれど、この期ご
にまで、恩賞の約束だの、権力などが、何かになるものと思っている人びとが、あわれであった。気の毒に見えた。 掛樋かけひ
ノ床ゆか で、口をそそぎ、手をきよめ、麻鳥は、病間に伺候した。 けれどなお、入道の病室は遠く、侍医の間で、医寮の面々と、あらかじめの談合をとげた。そして、夜もふけ初むるころ、やっとのことで、入道の臥ふ
す病臭の濃い枕もとへ侍じ したのであった。 「・・・・?」 病入道は、平静だった。嘘のように、静かな呼吸をしている。が、見馴れぬ男を枕べに見、落ち窪んだ眼を、ぽかと開けている。 |