〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-Y 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (八) ──
さん がい の 巻

2013/09/23 (月) 麻 鳥 拝 診 (一)

「やれ、やれ、やっと少し落ちつかれたようではある。いたが、あのお苦しみは、見ておれぬ。ままになるなら代っておあげ申したい」
いままで、兄の枕もとにいた経盛は、こうつぶやきながら、中殿ちゅうでん のひと間へ、そっと戻って来た。
人びとは、憔悴しょうすい しきった彼を見て、
「でも、いくらかは、おらくになった御容子で」
と、病殿びょうでん の内の経過を、細かな点まで、聞きたがった。
夜来やらい 、この中殿には、入道のすぐの弟、経盛をはじめ、門脇殿かどわきどの教盛のりもり 、池殿の頼盛、義弟の平大納言時忠、薩摩守さつまのかみ 忠度ただのり 、みな、寄っていた。
入道の嫡男宗盛は、母の二位殿とともに、枕頭ちんとう にかしずいたきりである。病で引きこも っていた知盛も、病をおして、ひかえていた。
経盛の子経俊、敦盛あつもり 。教盛や頼盛の子たち、そのほか、資盛、清経、有経、知章ともあき教経のりつね師盛もろもり時実ときざね 、清房など、名もあげきれない。
打ち見れば、西八条の広い館も、一門の人びとで埋っていた。天皇、法皇、女院のおつかわびと やら、堂上の公卿やら、一族にして僧でもある二位僧都そうず 専親せんしん 、法勝寺の能円、中納言の律師りつし 仲快ちゅうかい阿闍梨あじゃり 裕円ゆうえん なども見えるし、また、外門げもん 内門ないもん の庭には、近国の受領じゅりょう衛府えふ の将士が、尺地も見えないほど、たむろして、病殿の経過に、一喜一憂していた。
「今しがたに至って、おん息づかいも、いささかは、平調に返られた。── ひとしきりの、おんもだえと、大熱では、はやこれまでかと、医師もわれらも、色を失うたが」
経盛はひどい疲れ方らしい。いや、たれもがそうであった。清盛とはみな骨肉のあいだである。みな大患の苦しみを、病人とともにしている思いなのである。
「医師たちは、もう、さじを投げているのでしょうか」
今は、小康しょうこう を保っていると聴くものの、人びとの憂いは少しもほぐ れなかった。
薬餌やくじ 、手当、医法はつくしたと申しおるが、御平癒をうけあうとは、たれも言わぬ。いずれも、へとへとに、疲れきっているていじゃ」
「医師たちよりも、二位殿には、夜も日も、禅門のおん枕べにあって、帯すらお解きになっておられますまいに」
「つかのま、手枕してなりと、おやすみあってはと、おすすめしてみたが」
「否と仰せか」
「眠とうないと、お顔を振って、看護みとり に心をくばっておられる。また、禅門にも、ややお苦しみがしずまると、すぐ、二位殿のみ手をさがして、嬰児あかご のように、お離しにならぬ」
「・・・・・・・」
人びとはまたもとの沈黙に返った。病間の光景を ── そこの老いたる夫婦のさまを ── たれもが瞼に描いた。
そして、彼方の病間の小康状態を 「どうか、このまま順調にゆくように」 と、いまは皆、神仏にすがる気持でいっぱいだった。
こいう非常な門へも。
各地からの早馬は仮借かしゃく もない。美濃みの の戦場からは、重衡しげひら の飛脚。越後の国府からは、木曾勢の猛威やら、その進出ぶりを。
また、南海、紀州、各地の火の手も、一日ごとに拡がるばかりで、ここ西八条の大廂おおひさし にまで燃え移りそうな悲報が、くし の歯をひくようである。
目代飛脚もくだいびきゃく はもとより、諸国からの早馬状は、すべて、時忠が手もとによこせ」
平大納言時忠は、表の将士へ言い渡した。彼のみは、中門廊にいて、一切の外務を引き受けていた。また、大理卿だいりきょう としての、洛中警備の指揮も、そこでとった。義兄清盛の病や、姉の二位殿の健康も 「天にまかせた」 と、心で言い切っているような姿であった。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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