〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-Y 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (八) ──
さん がい の 巻

2013/09/19 (木)  これ じん (二)

武者たちは、そこを退いて、うしろへ向かい、何か、かなたの主人へ言っていたが、やがて、従者を連れた人品のよい侍が、静かに、前へ進んで来て、
「御辺が、医師の麻鳥どのか」
「はい、ここに住む貧しい医師にござえいまする」
「それがしは、参議経盛が嫡子経正と申す者。じつは父経盛、門脇殿かどわきどの など、御一門の旨をうけたまわって、おり入ったお願いに参ったが」
もの腰のしずかな人である。言葉は、いんぎんだ。音に聞く、経盛卿の子息とは、思えないほど、辞が低い。
「とりちらかしておりますが、ともあれ、どうぞ屋の内へ」
麻鳥は、経正ひとりだけを、書斎に通した。
そこでは使者の経正から、ひそやかな話があった。もちろん、入道相国の病状についてであり、寮の典医や医生のともがらも、さじを投げて、手をこまぬいている有様なので、ぜひ来診を仰ぎたいとのことだった。
「・・・・・」
麻鳥は、病人の症状について、二、三の質問をしただけで、あとは黙然と聞いているだけだった。
「いかがであろうか」
と経正は、使いの重大さを、色にもたたえ、案じて言う。
「・・・・さあ」
と、麻鳥は、浮かぬ色である。
たとえ助からぬような病人でも、こらが貧乏人の場合は、すぐ駆けつけて行く麻鳥であった。
へれど、今日は、勝手が違う。
時めく入道清盛殿のやまい てほしいと われたのである。元来、権門けんもん の出入りを彼は求めたことはない。── ただ求めぬまでも、いまは和気わけの 百川ももかわ遺弟いてい の随一として、彼の名は、貧民街だけのものではなくなっていた。── そにため、まま公卿権門けんもん の迎えもあり、おりには、 いを入れて、出向いた例もないではない。
そして、富者から得た礼は、貧者への施療になっていたのである。官の施薬院の仕事は、かたちだけのものだったが、彼の仕事には、愛情が通っていた。去年からの飢饉で、いたるところに、窮民はあふれているが、柳ノ水の一劃だけは、病人も少なく、餓死もなかった。麻鳥の善意が通じて、ここは、怠け者が減り、どの土小屋でも、何か、仕事をやっていた。助け合い、働き合うので、以前は、ごろごろいた怠け者も、いたたまれなくなったのである。
経正たちの主従も、ここへ来て、意外に感じたのは、それだった。うわさほどには、きたなくもないし、飢えた人間も見かけない。わけて麻鳥の家の、貧しいながらも、清潔で雅味のある暮らしぶりには、ゆかしい気持さえ抱いた。
「まげても、お越し給わりたい。夜昼もなき、禅門の御苦患ごくげん ゆえ、それも、さそくなる、お願いなのです。麻鳥どの、すぐ同道してくださるまいか」
かさねて、経正は、礼をくり返した。
「ごていねいな」
と、麻鳥も、こう答えずにはいられなくなった。
「西八条には、あまた、医寮の典医も、施薬院の薬師くすし がたも、御病褥ごびょうじょく におはべ りとぞんじまするに、名もないわたくしなどへ、わざわざのおん迎えは、恐縮します。ともあれ、御意ぎょい におこたえ申しましょう」
「では、御承諾くださるとか」
「はい、伺いまする。・・・・けれど、あなただけには、おことわりしておきますが」
「何事を」
「相国のおん病は、わたくしが伺ったところで、必ずしもいゆ るとは、うけあえませぬが」
「天寿とあれば、ぜひもない儀」
経正の声は、ふと、かすれて、眉のあたりの血の気をひいた。
「それだに、御承知のうえなれば」
と、麻鳥は、もういちど、念を押した。
経正は、迎えの輿こし で、とすすめたが、麻鳥は 「貧乏医者に、晴れがましすぎる」 と断って、違約なく、あとから行くことをちかって、物々しい使者には、先へ帰ってもらった。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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