武者たちは、そこを退いて、うしろへ向かい、何か、かなたの主人へ言っていたが、やがて、従者を連れた人品のよい侍が、静かに、前へ進んで来て、 「御辺が、医師の麻鳥どのか」 「はい、ここに住む貧しい医師にござえいまする」 「それがしは、参議経盛が嫡子経正と申す者。じつは父経盛、門脇殿
など、御一門の旨をうけたまわって、おり入ったお願いに参ったが」 もの腰のしずかな人である。言葉は、いんぎんだ。音に聞く、経盛卿の子息とは、思えないほど、辞が低い。 「とりちらかしておりますが、ともあれ、どうぞ屋の内へ」 麻鳥は、経正ひとりだけを、書斎に通した。 そこでは使者の経正から、ひそやかな話があった。もちろん、入道相国の病状についてであり、寮の典医や医生のともがらも、さじを投げて、手をこまぬいている有様なので、ぜひ来診を仰ぎたいとのことだった。 「・・・・・」 麻鳥は、病人の症状について、二、三の質問をしただけで、あとは黙然と聞いているだけだった。 「いかがであろうか」 と経正は、使いの重大さを、色にもたたえ、案じて言う。 「・・・・さあ」 と、麻鳥は、浮かぬ色である。 たとえ助からぬような病人でも、こらが貧乏人の場合は、すぐ駆けつけて行く麻鳥であった。 へれど、今日は、勝手が違う。 時めく入道清盛殿の病やまい
を診み てほしいと請こ
われたのである。元来、権門けんもん
の出入りを彼は求めたことはない。── ただ求めぬまでも、いまは和気わけの
百川ももかわ が遺弟いてい
の随一として、彼の名は、貧民街だけのものではなくなっていた。── そにため、まま公卿権門けんもん
の迎えもあり、おりには、請こ
いを入れて、出向いた例もないではない。 そして、富者から得た礼は、貧者への施療になっていたのである。官の施薬院の仕事は、かたちだけのものだったが、彼の仕事には、愛情が通っていた。去年からの飢饉で、いたるところに、窮民はあふれているが、柳ノ水の一劃だけは、病人も少なく、餓死もなかった。麻鳥の善意が通じて、ここは、怠け者が減り、どの土小屋でも、何か、仕事をやっていた。助け合い、働き合うので、以前は、ごろごろいた怠け者も、いたたまれなくなったのである。 経正たちの主従も、ここへ来て、意外に感じたのは、それだった。うわさほどには、きたなくもないし、飢えた人間も見かけない。わけて麻鳥の家の、貧しいながらも、清潔で雅味のある暮らしぶりには、ゆかしい気持さえ抱いた。 「まげても、お越し給わりたい。夜昼もなき、禅門の御苦患ごくげん
ゆえ、それも、さそくなる、お願いなのです。麻鳥どの、すぐ同道してくださるまいか」 かさねて、経正は、礼をくり返した。 「ごていねいな」 と、麻鳥も、こう答えずにはいられなくなった。 「西八条には、あまた、医寮の典医も、施薬院の薬師くすし
がたも、御病褥ごびょうじょく
にお侍はべ りとぞんじまするに、名もないわたくしなどへ、わざわざのおん迎えは、恐縮します。ともあれ、御意ぎょい
におこたえ申しましょう」 「では、御承諾くださるとか」 「はい、伺いまする。・・・・けれど、あなただけには、おことわりしておきますが」 「何事を」 「相国のおん病は、わたくしが伺ったところで、必ずしも癒いゆ
るとは、うけあえませぬが」 「天寿とあれば、ぜひもない儀」 経正の声は、ふと、かすれて、眉のあたりの血の気をひいた。 「それだに、御承知のうえなれば」 と、麻鳥は、もういちど、念を押した。 経正は、迎えの輿こし
で、とすすめたが、麻鳥は 「貧乏医者に、晴れがましすぎる」 と断って、違約なく、あとから行くことをちかって、物々しい使者には、先へ帰ってもらった。 |