柳ノ水のそばの老柳
も、うっすらと、浅緑さみどり
の芽を吹き初めていた。 阿部あべの
麻鳥あさとり の小屋は変らない。変哲へんてつ
もない人生の標本みたいなものだ。ここに定住して、いつかもう二十年近くになる。 家の裏には、小さな薬草園だの、野菜畑などを耕し、萱屋根かややね
の苔こけ 、垣かき
のつる草も、風雅めいて、竹の小窓からは、医書を積んだ書斎ものぞかれ、朝夕の掃除に、土味つちあじ
も出て、貧しさは貧しさのまま、趣おもむき
があった。── 古語の “無事ぶじ
是これ 貴人きじん
” の意味がおのずからここにある。 「もの申す。・・・・もの申す」 尋ね当てて来た西八条の武者は、そこの門垣かどがき
に立って、内へどなった。 「お医師の、阿部麻鳥どののお宅は、こなたであろうか。これは、西八条よりまかり越した御使みつか
いにて候うが」 おりふし、妻の蓬よもぎ
は、裏の畑にいた。 子の麻丸は、もう九ツ、次女も、五ツになっている。二人の子をあいてに、笊ざる
に若菜を摘つ んでいた。 「おや、お客さまらしい」 彼女は、身のびして、表の方を見たが、物々しい人影に、ぎょっとしたらしく、あわてて台所から、良人の書斎へ駆け込んだ。 「あなた、あなた、武者が見えていますよ、それも大勢」 「え、たれか来たのか」 麻鳥は、机から顔をあげた。 家にあれば、いつも書物に埋もれている彼だったが、このごろはまた、暇さえあると、筆をとって、何か、医学の自著にでもかかっている様子だった。 「何を、そわそわしているのか。客ならば、早く出てごらんなさい。子どもたちは」 「畑にいます」 「おまえも、いつまでも、子どもだなあ」 「三十七ですよ、ことしは」 「はははは、年だけはな」 「あなただって、とうに、もう四十をこえたではありませんか」 「困ったものだ」 「どうしてです」 「おたがい、なかなか、大人おとな
にはなれん。そのうち、白髪が生いても、まだ、こんなことで、暮らしちまうかもしれないな」 「おやおや、わたくしたちは、いつの間にか、老ふ
け過ぎてしまったと、月日のあとを、悲しんでいるのに」 「おまえのいう大人と、わしの思う大人とは、意味が違うのだよ。年ばかりとっても、大人といえるものじゃない。・・・・おう、垣の外でまた、訪れが聞こえているわ。蓬、御用を伺ってみい」 「でも、いやに物々しい人数です。検非違使からでも来たんじゃないでしょうか」 「ええ、役にたたぬやつ」 面倒に思ってか、麻鳥は、自分で立った。 そして、柴垣しばがき
の戸をひらき、 「麻鳥はわたくしですが」 と、小腰をかがめた。 |