〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-Y 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (八) ──
さん がい の 巻

2013/09/16 (月)  せん (一)

── 次の日。
「あわれ、神明の加護か」
と、西八条の人びとは、眉をひらいた。
「おもいのほか、今朝方にいたって、禅門には、うるわしい御気色みけしき です」
と、典薬頭てんやくのかみ 定成さだなり が、宿直とのいひさし へ来て告げたからである。
今朝方といっても、もう陽は高い。膳部寮から心をこめてはこ んだ食事は、手もつけられず、病殿びょうでん から退 げられた。
経盛、教盛、頼政、忠度ただのり など、入道の舎弟。また宗盛をかしらに、入道の子息も、すべて別殿に詰めきっている。
さきに、美濃方面へ、出馬した重衡しげひら と、病中の知盛とももり と、そして入道の勘気を受けた孫の資盛をのぞいいぇは、一門の子弟で、見えぬはない。
女子は九人いた。
長女は、花山院かざんいん 兼雅かねまさ の室であり。次女は安徳天皇の御母建礼門院、三女の盛子は、この世にいない。
四女、五女、みな藤原氏の名門に嫁ぎ、ひとり六女だけは、腹ちがいである。
その六女は、厳島いつくしま内侍ないし 迦葉の腹で、福原の山荘で育てられて来たが、後白河法皇の都がえりのさい、意識的に、清盛はその子を側女そばめ にさしあげた。やがて、法皇のちょう を受けて、冷泉れいぜいつぼね といわれ、今では、法住寺殿ほうじゅうじでん後宮こうきゅう につかえていた。もちろん、その冷泉ノ局は、見えていない。
「にわかなお病気いたつき 、それも、御重体と知らされたときは、胸もつぶれるここちでした。・・・・けれど、ああ、これで、少しは心がやすらぎました」
女性にょしょう は女性たちだけで、一殿いちでん に籠りあっていた。四女の藤原隆房ふじわらたかふさ の室、七女の藤原信隆の室、そのむすめ、 など、
「どうか、このまま御本復あそばしますように」
と、ようやく、明るい春の陽ざしを、廂の外に見出していた。
「けれど、二位殿もいらっしゃるのに、どうしてすぐ、諸山の智識ちしきしょう じて、御祈祷ごきとう なさらないのでしょうか。・・・・さなきだに、世上では、前門を指して、仏敵と呼ばわり、今に仏罰がくだるであろうなどと、悪しざまに申しておりますのに」
「禅門がおきらいでは、しかたがありますまい」
「でも、死か生かの、こんなさかいには、どんな者でも、神仏にすがるものでございましょう」
「めったなことをして、もし、御病中のお気にでもさからってはと・・・・どなたもお口になさらないにちがいありません」
「わたくしが、そっと、おすすめ申し上げてみましょうか」
「めっそうもない」
「いけませんか」
「せっかく、御容態もややおしずまりのところへ」
「なぜでしょう、なぜ、禅門には、ご自身、御法体ごほったい もとげ、浄海入道と、御法名までお持ちあそばしながら」
「そして、福原には、堂塔もお建てになり、法華堂では、千僧供養の御奉行もなされているのに」
「御本心には、人一倍の御信仰もおありなのです。ただ、南都や山門の悪僧たちを憎しみの余り、去年こぞ の暮れのような、おそ ろしい焼き討ちも、つい、お命じになったものと思われます。禅門のお心は、仏陀ぶつだ が、御照覧です。わたくしたちが、門前にかわって、南都炎上のとが を、おわびしましょう。僧侶そうりょ でないわたくしたちが、祈祷きとう しているぶんには、お怒りにもふれますまい」
そこの女性籠にょしょうごもひさし では、昼をしずかな誦経ずきょう斉唱せいしょう と、低音なれいかね の音や、そして、こう のにおいが、けむりたっていた。
そのうちに、ど、ど、ど・・・・と病殿びょうでん からよもぎつぼ の南廻廊を、たれか、あわただしく駈けて行くので、女房たちが、 を割って、さしのぞいていると、やがて典医寮の方から、侍医の定成、頼基などが、呼びたてられて、病殿の細殿へ入って行った。
夜来の疲れで、侍医たちは、清盛が落ち着いたのをしおに、つかのま、まどろんでいたのである。── 彼らは、そこを、呼びさまされ、愕然がくぜん と、不吉な予感にでも打たれたように、入道の す所のとばり と、また屏風びょうぶ とを、ふた にへだてた医師の間に伺候した。そして、すわるやいな、入道のあらぬ囈言うわごと と、すさまじい苦しみ方に、胸をつかれた。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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