〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-Y 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (八) ──
さん がい の 巻

2013/09/15 (日) 右 京 大 夫 が よ い (三)

資盛は、広縁のおばしまから、庭へ落ちた。蹴落とされたまま、地にひれ伏した。
「う、 せおれっ。今が、いかに非常の世か、身に知るまで、門に帰るな。・・・・ああ、見るも、いまいましいやつよ」
五体の老いの骨をがたがた鳴らした。そして突然、その顔は、子どもがベソをかいたようなしわ になった。はったと、資盛の背をねめすえ、唇にけいれんを刻みながら、制しきれない余憤をなおも浴びせかけた。
「東国、信濃、紀伊、西国までも、いまし平家に背くやから が、時を得たりと、叫びおうて、蜂起ほうき している様が、なんじには分からぬのか。・・・・もし、なんじの父、小松内府重盛が世にいたら、その姿を見て、なんと嘆こう、この入道が足蹴あしげ のような生やさしい折檻せっかん ではおくまいが。・・・・」
息がつづかない。肩で言うのである。
「思えば、なんじの自堕落じだらく は、幼少からのものだった。忘れもせぬ、あれは嘉応二年のことよ。なんじの乗れる牛車と、摂政基房の乗れる牛車とが、途上で大争いを起こし、多くの科人とがびと まで出したが、もとただ せば、親の威光をかさにきたなんじの罪ではなかったか。以後数年、伊勢の片田舎に、蟄居ちっきょ を命じ、いささかは、性根も直ったかと思い、重盛が き後は、ひとしお、入道もいつく しみをかけてきたものを、かかるおり、役儀の陣座をまぎれ脱け、女房通いにうつつを抜かしておるようでは、もはや清盛も思い切ったり。── たく ぞ、この男を、わが眼の前より遠ざけろ」
人びとは、とりなすひまも見出せなかった。清盛は、やっと、落ち着きを取り戻して、座に返ったが、
「常ならばとにかく、まだ にある中宮のお側に仕えながら、男と忍び合うなど、右京大夫の侍従と申す女房も不埒ふらち 。今日限り、女も、建礼門院の御内より追放させい」
と余憤はしずまっても、なお、にがにがしい語気で、門脇殿かどわきどの へそれをいいつけた。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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