〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-Y 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (八) ──
さん がい の 巻

2013/09/13 (金) 「ぎょく よう 」 筆 者 (三)

風説とは、おかしなものである。
いぶかしく、おかしな、得体えたい の知れぬ作用のものではあるが、その中に何か、人間の希望とか、複雑な心理が、べつなすがた をかりて、つつまれていることも否めない。
たとえば、昨日今日を見ても。
西八条のてい の外ではしきりに、清盛の乱心とか、やまい とか、あるいはもう死んででもいるような取沙汰がひろまっていたが、その西八条の内や、六波羅界隈かいわい では、もっぱら、
「── 鎌倉の頼朝は、この春以来、病で引きこも っているそうだ」
とか、もっと、まことしやかなのは、
「いや、死を秘しておるが、じつは、もう死んでおるそうだ。北条時政父子との間に、何か、事件があったらしい」
などといううわさが立った。
頼朝夭亡説わかじにせつ は、治承五年二月中、どこから出たものか、かなり伝播でんぱ したものらしく、九条兼実 (月輪殿) が、日々克明に誌していた “玉葉” のうちには、二十日の日記にも、二十一日の項にも、それを耳にしたことが、書いてある。
けれど、さすがに、彼は、

伝ヘ聞ク、頼朝ニ病アリト。或ハ、夭亡ノ説アレド、カクノ如キ謬説ハ、唯、多キノミ。
と、その偽妄性は、看破していた。
この頼朝の夭亡説わかじにせつ が、嘘であったように、清盛の乱心説や死亡説も、みな嘘だった。
── 当の入道清盛は、福原の地を思い切って、ふたたび都がえりをして以来は、
(一門に、たの む者はない)
さと り、また、
(このうえは、自身、現状の頽勢たいせい をもりかえし、平家を安きにおかねばならぬ)
と、誓ってから、たしかに、日常の起居言動も、変わったことは変ってきたが、何も、乱心などという性質のものではない。── かりに、いかに健康な壮者でも、彼の立場となって、昨今、彼が観ているような天下の情勢と平家の内部を見比べ ── そしてなおままならぬ去年からの天候異変による衆民の飢餓を見たりなどしていれば ── 当然、まれには声を荒らげたり異常な憔悴しょうすい や血相も顔にあらわすに違いない。
ちまり、その程度には、清盛も、たしかに変っていたろうし、困憊こんぱい のあまり、疲れていたであろうことも察しられる。
それが、大げさに伝わったわけも、強いて探せば一、二の事実がないこともない。
いちど、孫の資盛すけもり を、蓬壺ほうこ の縁から蹴落けおと して、ひどく怒ったことなどあった。
著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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