風説とは、おかしなものである。 いぶかしく、おかしな、得体
の知れぬ作用のものではあるが、その中に何か、人間の希望とか、複雑な心理が、べつな相すがた
をかりて、つつまれていることも否めない。 たとえば、昨日今日を見ても。 西八条の第てい
の外ではしきりに、清盛の乱心とか、病やまい
とか、あるいはもう死んででもいるような取沙汰がひろまっていたが、その西八条の内や、六波羅界隈かいわい
では、もっぱら、 「── 鎌倉の頼朝は、この春以来、病で引き籠こも
っているそうだ」 とか、もっと、まことしやかなのは、 「いや、死を秘しておるが、じつは、もう死んでおるそうだ。北条時政父子との間に、何か、事件があったらしい」 などといううわさが立った。 頼朝夭亡説わかじにせつ
は、治承五年二月中、どこから出たものか、かなり伝播でんぱ
したものらしく、九条兼実 (月輪殿) が、日々克明に誌していた “玉葉” のうちには、二十日の日記にも、二十一日の項にも、それを耳にしたことが、書いてある。 けれど、さすがに、彼は、 |